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鎖は静かに地に堕ちた
一人の少女が死んだ。
少女の名前は長谷部真由、高校二年生、まだ十七歳という若さでの突然の死だった。
彼女の父親である長谷部幸一は、誰もいない自宅のリビングで安酒を飲んでいる。
後味の悪い、安さだけが取り柄の酒だがそれでも飲み続けていれば愛着も湧く。
彼はぼんやりとしながら、何も映っていないテレビの画面を見る。
そこに映った彼の姿は、いかにもな中年のくたびれたサラリーマンだった。
頭はずいぶんと薄くなったし、肌のハリというのもなくなってきた。
目は生気のない、見る者を不快にさせるような濁った色をしている。視力もかなり悪くなった、そのせいで近々眼鏡を新調しなければいけない。
着ているシャツもよれよれで、色褪せてきている。
首元は、自分で見ても顔をしかめるほど黒ずんできてしまっている。
幸一は娘が死んだという現実を思いながら、また一口酒を口に運ぶ。
彼の前にあるテーブルの上には、今回の真由の死に関する様々な書類が無造作に広げられている。
葬儀、警察、学校からの書類、どれも一応目は通したが本当にただ通しただけだ。何一つ頭には入ってきていない。
彼の娘、長谷部真由は死んだ。
不幸な事故でもなく、ストーリー性のある病気でもない。
彼の娘は、くだらない喧嘩の果てに死んだ。
名前も聞いた事の無いような不良たちとのいさかいで、口論になり突き飛ばされて頭を打ってあっけなく死んだ。
呆れ果てるような、今までの人生全てを無駄にした死に方だった。
世の父親たちは、娘の死をどう思うのだろうか。
多分ひどく悲しんで、何もする事ができなくなるのだろう。
そして娘を突き飛ばした不良を恨んで、恨んで、恨みながら生きていくのだろう。あるいは復讐に走るかもしれない。
それは法律というルールの立場から見れば、正しい事ではない。
だがきっと人として、親としてそれはあるべき姿なのかも知れない。
だが幸一には、これっぽちもそんな気持ちは無かった。
娘が死んだという電話を会社で受けた時も、ああそうかとしか感じなかった。
妻はひどく悲しんで家で一人おんおんと泣いていたが、彼にはそれが理解できなかった。
遺体を確認した時も、葬式の時も火葬の時も全く泣けなかった。
周りの人間が悲しすぎて泣けないんだろうと気を使ってくれたおかげで、彼はまだギリギリ親としての体裁を保つ事ができた。
妻は心労から体を壊し、療養のために実姉の家へ行った。
それを見て、幸一は当然心配になったしどうにか立ち直ってほしいとも思った。
だが真由が死んだ事が、そこまで悲しい事だとは到底思えなかった。
死んだ後の処理が全て終わり、落ち着いた今となっても悲しみは押し寄せてこない。
それどころか彼は少しほっとしていた。
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