鬼ヶ島弁当

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 順風満帆、恵まれた人生と言われればそうなのかもしれない。  純日本人だが、母親が外務省の外交員だった関係もあり海外で生まれ、現在もそっちで大学の教授をしている父と、同じくそっちで貿易商社に勤める兄がいる。  日本食が好きだというだけで日本の大学を選び、まぁやはり手堅く無難だろうと受けた試験の二回目で無事合格となったまま、今も日本の総務省で評価監視官として働く。  五年後を目処に、広域地方自治統合を目指すこの土地の管区行政評価局に派遣されたのはついひと月前。  業務内容は行政の政策評価と監視という名目だが、連日の何を決めたいのか分からない会議や、共にくっついて来た面倒な天下りのお殿様の相手など、業務なのかどうかも分からないようなことの方が鷹彦には重く、しんどかった。    エリート官僚、などと言えば聞こえは良いが、所詮宮仕えのサラリーマン。  残業もあれば、我慢も不満もあり、特に今は外部者という取り扱いの在籍で無駄に張ってしまう気が、一人、ということを強く感じさせていた。  この土地に来てから特に、今夜の食事はどうしようかと、看板の明かりが消えた店を見送りながら帰り道を歩くのが常になっていた。  ビジネス街のど真ん中にある宿舎は通勤にとても便利だが、夕方五時頃から飲みだして、夜十時には捌けていくような客を相手に商売している店ばかりなのと、食料の買い物をする店が少ないというのが難点だった。どこで買っても同じような味の食べ飽きたコンビニ弁当にも気が乗らず、越して来て三日でゴミ捨て問題と並ぶ悩みとなった。    今夜はやっと街が寝静まるまでの時間を残して仕事に区切りがついたので、食事の出来そうな店を探す為、まるで待ち合わせの約束でもあるかのように装いつつ、いそいそ職場を出て来たのだった。  いつも暖簾の下りている姿しか見せない店も、煌々と灯りをともして良い匂いをさせていた。  昼間はランチ、ランチ、と忙しく呼び込みをしている店が、夜はスペインバル風の店へ姿を変えていたり、ほんの二、三時間違うだけでこんなに明るい通りなのかと鷹彦を驚かせる。  一人でも入りやすそうな落ち着いた店を探しながら帰路を進めていると、隣の飲食店のライトに照らされようやく字が読める薄汚れた軒先テントの店名が、足を止めさせた。 「鬼ヶ島弁当…?」    鬼の弁当屋というのが気になり、つい古いガラス戸から店の中を覗いてしまった。  飲み屋などの飲食店が夜の客を待つのは当然かと思うが、夜の客を待ってくれる弁当屋はそうない。ぞろぞろと定時で帰る一団が過ぎ去れば、さっさと店を閉めてしまう弁当屋がほとんど。  稼ぎのメインは昼間なのだろうから、致し方ないと思う。    色々な事が、その店に入るよう仕向けたように、店を覗いたと同時に中に居たデカい女と目が合ってしまう。 「もう少ないですけど、まだありますよ」  こちらに軽く会釈をしてそういうので、引き返せなくなった。  鷹彦は知っていて覗いたのだという顔で思わぬ動揺を誤魔化しつつ中へ入り、残っていた数種の惣菜と二種類の弁当から和風弁当を選んだ。  真ん中に置かれた大きめのテーブルのような所に弁当が並び、通路を挟んでそれを囲う単品の惣菜やサラダが置かれた冷蔵ケースの端には、少しばかりのフルーツやプリンなどのスイーツも置かれていた。  決して広くはない店内で見ると、窮屈そうに見えるくらいのその女…正確には、女風の男と一目で分かるその店員は、がっちりとした逞しい体に、派手なピンクのカットソーと、どこで売られているのか見たこともない程ふんだんにフリルが盛られたエプロンを付け、かつらではなさそうな髪を胸元まで伸ばし、垂れ目をブルーに塗っていた。  今時まだこんな典型的なのが居るのかと呆気にとられ、見た目にはどちらか分からないようなのはやはり一部の成功例なのだと、鷹彦はつい二度ほど瞬きをした。    こんな時間に手間取らせても悪いと思い、さっさとレジに向かい清算を頼むと、ありがとうございます、と喉を細めても重低の太い声で、垂れ目をさらに垂れさせて微笑んだ。  レジを打つそいつの、フリルエプロンの上からでもはっきり分かる厚い胸板だけでなく、下に着たカットソーを苦しげに張らせている肩幅や、盛り上がる二の腕をちらりと盗み見ながら、値段を聞いて千円を出し釣りをもらった。  流石に毛は生えていなかったが、手首までもむきむき太いのを見て、深夜営業の用心棒かなんてその筋力の使い道を勝手に探っていると、ふいに差し出される。    そんな剛健さで、どこかおどおどという感じに聞いてくるのが無性に気に入らなかった。 「あのぅ、失礼でなければぁ、このプリン、賞味期限今日までなんですけど…、差し上げますんで、召し上がられませんか……?」 「結構です」    本当は弁当よりそのプリンが食べたいような気にもなったのだが、もう二度と来ないだろう店から施しのような物を受け取るのも、図体だけ立派なおかまも嫌だった。  こんな言い方しかできないから、職場でも冷徹人間なんて陰口叩かれるんだろうなと、内心自分にも嫌気が差しながら、レジ台に置かれた弁当の袋を自分から取りぷいと出口に向かったのだ。 「よ、余計なお声掛けしてすみませんでしたっ! ありがとうございました…」    相変わらず気後れしたような声が背中に掛かっても、鷹彦はもちろん振り返りもせず帰ってきた。  ところが、弁当の意外な美味さがそんな態度を幾分後悔させたのだ。
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