鬼ヶ島弁当

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 その次の日も、また次の日も、望むような時間に帰路へ就く事は出来ず、仕方なくふらふら引き寄せられていく虫達に混ざって鷹彦も眩しいコンビニに向かい、食事とは言えないような菓子パンを齧ったり、飲み物だけ確保して惰眠を貪った。    灯りが落ちた道の中で、目を凝らして何となく鬼ヶ島探してしまう自分は差し詰め桃太郎かなどと一人茶化しながらも、微かな月明かりと旧式の弱い街灯を頼り、今までは気付かない事が当たり前だった古くぼやける軒先テントを眺めて帰ってしまう。  昔話の桃太郎と違うのは、いつも一人でその鬼ヶ島を探しているという点だろう。  弁当屋の横窓から漏れる微かな灯りが、降りたシャッターの向うに人の存在は知らせたが、そのシャッターを押し上げて入るわけにもいかないので、毎夜ただ通り過ぎた。    やっと一日時間の出来た休日は少し朝寝坊して、また前夜風呂も入らず寝た分のシャワーを浴びて、溜まった着用後のスーツやYシャツをまとめてクリーニングに持って行っただけで午後になっていた。  腹が減ったなと思い出したのはあの鬼ヶ島。  休日なら店番も違うかもと考え、クリーニング屋からそのまま鬼ヶ島へ向かった。  店休日に暦の休日が指定されている事が多いのもこれまたビジネス街なのだが、あそこは開いている気がしたのだ。    読み通り、鬼ヶ島は今日も狭い店内に弁当を並べていた。  だが、開けられたままのガラス戸から店内に入っても人影はない。 「田舎の商店じゃあるまいし不用心だな…。…まぁ、あの店員知ってたら気軽に盗みに入ろうなんて思わないか」    自分なら1秒でノックアウトされる自信がある、なんてひ弱さを肯定しながら構わず店内に置かれた弁当を選んで店員を待つ事にした。  店内には本当に人気がなく、一向に誰かが出てくる気配もなかったのだが、週末は閑散として普段の活気をまったく持たないこの地域は、昼を大分回ったこの時間に弁当を買いに来る客を想定していないのだろうと、なおぶらぶら店内を歩いて待った。  本当は、今さら開いている店を探すのも面倒だということより、あの甘い金時豆が食べたくて仕方がなかったのだ。 「あ! いらっしゃいませ」    入り口から新しく入って来たのは、あの用心棒おかまだった。 「どうも」    売ってくれる人間を待っていたはずなのに、先日の愛想の悪い自分を思い出して、急に居心地が悪くなった。とにかく適当に選んでとっとと帰ろうと思うのだが、さっきから覗きまわっている弁当の金時豆では物足りないと決めかねていたのだ。 「…この金時豆って別売りありますか?」    意を決してと言う程でもないのだろうが、このままいつまでも悩んでいても迷惑だろうとやむなく聞いた。 「金時だけですか?」    被さるような影がこちらに向かってくる。  近くで見ると益々重量感のあるその体に威圧され、鷹彦は思わず後ずさった。 「…えぇ」    表情を変えないようにしながら、動くたびに膨れる様々な部位を観察してしまう。  何を食って鍛えたらこんな体になれるんだよと、思わずまた店内に並んだ弁当や総菜を眺めてしまう程、生気を感じる体だった。  男として至極恵まれた体躯と言っても過言ではなさそうなこの体であえて女を真似るのには、抗えないものが心にあるのだろうなんて哲学チックに考えてみたりしながら、見てない素振りで表情も維持する。 「この大きさならあるんですけど、多過ぎますか?」    わざわざ鷹彦の所まで商品を取ってきてくれたそのグローブのような手が持つと、出された金時豆のカップは随分小さく見え、鷹彦は内心もっと欲しいと思った。  だがそこは言い切れず、それで良いと受け取る。  さばの塩焼きと高菜の握り飯を取り、これも、と今度はまとめて渡し返すと、また垂れ目を下げて、ありがとうございます、と受け取ってから、少し間を置いて聞いてきた。 「うちの金時豆、結構甘めなんですけど、大丈夫ですか?」  先日プリンの好意を無下に断ったので、甘い物が苦手だと思われているのかもしれない。  そう考え、何と答えようか困ったが、これも曖昧に済ます事にした。 「…甘いのは、嫌いじゃないので」    先日はもう二度と来る事はないと思ったのでプリン断りました、と言うのもおかしいし、プリン貰わなくてすみませんでした、と謝るのもまたおかしい気がしたからだ。  弁当屋はレジ台の内側から、軽く傾げた顔でただ頷いた。  話しながらテキパキとレジを打ち、袋に詰め、金を受け取って釣りを戻す。  慣れた手つきから、昨日今日のバイトじゃないんだろうなと感じる。 「あたしは甘い物が苦手なんで、この豆に関してはちょっと良い感想が出てこないんですけど、好きな方も居て下さるんで味は変えないようにしてるんです」 「えっ、これあんたが作ってんの?」    つい驚いて、ぞんざいな物言いになってしまった。 「はは、うち零細商店なんで、あたし一人しかいないんです」    弁当屋は、なぜか、すいません、と大きい体を縮こめるようにして謝った。  そのどこか健気な様子に、勝手な嫌悪感を抱いていた自分が本格的に恥ずかしくなってきた。 「…夜は何時まで?」 「一応、基本的には夜九時までのつもりなんですけど、弁当の残り具合で開けたままにしている事もあります。捨てるのもったいないし、全部食べてたら、益々おっきくなっちゃうし」    つい、ふっと笑ってしまい、悪いと謝ると、笑ってもらおうと思ったんです、と弁当屋も笑う。 「また…来てくれたら良いなって、思ってたんです。あたし、見て分かるでしょうけど、男なんです…。女性ホルモンは副作用が出過ぎて仕事になんないから全然打てないし…。あの日、貴方見て、同じ男なのにこんなに綺麗な人が居るんだって…なんか、じーんとしちゃって……」    また、ごめんなさい、と謝るので、鷹彦は何と言えば良いのか分からぬまま手を振って見せ、変な沈黙に居たたまれず、弁当が入ったビニール袋を掴む。 「じゃあ、どうも」 「今日も変なこと言っちゃってごめんなさい! また、お持ちしてます」    その声掛けに、確かにまた来ることになるだろうなと思いながら、店を後にした。
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