鬼ヶ島弁当

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鬼ヶ島弁当

 まったく、期待外れとはこういう事を言うんだろう、と独り言ちながら吉開鷹彦(よしかいたかひこ)は、買ってきたばかりの弁当が入った袋をテーブルの上へ投げるように置いた。  食の細さを隠せない身頃に合わせて作ったスーツの上着も、これからそこへ落とす体の準備にソファーへ投げる。  今日もやっぱりそんな夜。  しばしぐたりと脱力し、油断するとすぐ寝てしまいそうな体を仕方なく起こして取り出した弁当に追加の溜息をつく。煮物に焼き鮭やひじきといった何の変哲もない和風弁当が今どうにか食べられそうな物には違いなかったが、箸を持って口まで運び咀嚼するという行為が面倒に感じるほど疲れていた。  無音の部屋にまた溜息と付属の箸を割る音を響かせ、やっと渋々弁当を食べ始めてまた独り言。 「…意外と、美味いな」    一人暮らしも長くなると、如何せん独り言が多くなってしまう。  大学の寮を出てから始めた一人暮らしもあっという間に七年目になり、気づけば三十路がすぐ傍に来ていた。公務員住宅とは言え、隣に立つマンションと何ら変わらないこの単身世帯用の建物は、一般的な都会の慣わしのように隣人との関係も希薄だった。  もっとも、仕事が中心に回る単身に地域活動を強要されたところで土台無理な相談なのだが、新任地での生活はゴミの出し方さえわからず、鷹彦の疲労を倍増させていた。  こういう時ばかりは、多少の近所付き合いがあっても良いなど思わぬわけではない。  ただ、近隣挨拶までも業者に任せておいて今更だなと、早々に諦めたのだ。    咀嚼で少し下がってしまったシルバーフレームの眼鏡を、箸を握った手の甲で軽く戻し、弁当箱の隅に申し訳程度に入った金時豆を口に運ぶ。  甘く炊かれたそれは、実はかなりの甘い物好きの鷹彦を喜ばせた。  止まらぬ箸でぺろりとなくなってしまった弁当が、予想外に自分を満足させた事は少々納得いかなかったが、金時豆だけでもまた食べたいという気持ちは否定できなかった。  食事を終えた容器を持ち帰ってきた袋に戻しながら、口に残る金時豆の味をなぞる。  キッチンに置いたゴミ箱にそれを押し込むついでに、集合ポストの割り当て箇所からいつの間にか溢れ返らんばかりに溜まっていたので仕方なく掴み抜いてきたチラシを一応請求書やまともな郵便物がないか見ながら、その上へさらに押し込んでいく。  めくってもめくっても、マンションの案内や水漏れトラブル対応などのチラシがほとんどで、ちょっと厚手のハガキがあったと思ったら、近くにオープンしたらしき美容室の案内だった。 「ゴミばっかりだな…。まぁ教えてない住所に手紙が来ても怖いか。あ、弁当のカラはプラスチックだった……」    面倒くさいと呟きながら、適当にぐしゃぐしゃと押し込んでいたチラシを掻き分け、弁当の空容器が入った袋を回収する。  面倒は面倒を呼ぶのか、どれも片手間のようにしていたのが悪かったのか、ゴミ箱に手を入れる為脇に挟んだまだ仕分けにかかっていない分のチラシが、ばささとなかなか盛大な音で散った。  よほどそのまま放置して寝てしまおうかと迷ったが、いずれ片付けなければならないのは誰かというのを一人分の弁当ゴミに思い出し、仕方なくキッチンの床に広がったそれをしゃがんで拾い始めた。 「何だこれ…プリントミスか?」    A4四つ切りくらいの、ちょうど捻じったばかりのピンクチラシと同じ大きさの赤い無地紙が、どれも何かしらをみっちりカラフルにプリントされたチラシ達の中で目を呼んだ。  拾って、裏表見て、光に透かして、やっぱり赤いただの紙。  紙質も良さそうな手触りなのでメモ紙に取っておこうかと一瞬考えて、どうせ使わないなと他のチラシと一緒にぐしゃりとやった。  そろそろ一杯になってきた袋をゴミ箱から引き出し口を結んでから、ゴミ捨て場に出ている袋からかろうじて覚えた燃えるゴミの日が今日だったと日付も変わる今やっと気付いた。    もう、完全に全部が面倒になって、そのまま歯だけ磨き、風呂にも入らずソファーへ転がると疲労に任せたままその夜も眠りについた。
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