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3.僅かなすれ違い
デートの時間が迫っているというのに、
僕は明け方まで眠れずにいた。
川瀬のことが、日に日に好きになっていく。
どんなことに心を動かされるのか、
完全に人となりを掴めずにいたが、
少しだけ冷たく見える横顔に惹かれて、
川瀬を独占したい気持ちに駆られていた。
時間より10分早く赤羽駅改札に立った僕は、
行き交う人の波をぼんやり眺め、
川瀬が来るのを待ちながら、
ペットボトルのコーヒーを口にした。
私服の川瀬に会うのは、初めてだ。
どんな雰囲気なんだろうか。
緊張と不安が渦巻き、背筋が伸びる。
あと少しで大好きな川瀬に会えるのだ。
息を吐き、目を閉じた。
「岸野、眠いの?」
そう呼びかけられ、目を開けると、
いつの間にか川瀬が目の前に立っていた。
「あ、おはよう」
オフホワイトのパーカーに青のシャツ、
黒のスラックスという私服の川瀬を見て、
また惚れてしまった。
「おはよう。岸野、今日はよろしく」
「よ、よろしく‥‥」
完璧な川瀬の笑顔に目が眩んだ僕は、
川瀬と目を合わせることができずに
ちらちらと視線を泳がせながら、
言葉を続けた。
「じゃあ、行こうか」
「うん」
ああ、大好き過ぎる。
早まる鼓動を抑えるのに精一杯だ。
ドキドキしながら
川瀬と並んで、埼京線のホームに向かった。
電車に揺られて、10分。
池袋に着くと、大型書店に足を向けた。
「何を買いたいの?」
「ビジネス本を見たいんだ」
突然、
172センチの僕より少し背の高い川瀬が、
僕の後ろに回り込んだ。
急ぎ足の人から僕を守るように
後ろに立ったと気づき、頭を下げた。
「ありがとう」
「いや、大丈夫」
「川瀬は、どんな本を読む?」
「海外の昔の小説ばかりだね」
「へえ、面白い?」
「うん。高校の頃から読んでる」
「今度、貸してよ」
「いいよ」
書店に着き、ビジネス本の棚を漁る。
川瀬は僕の隣で時折ビジネス本を手にし、
頷いている。
「僕もこういう本、読まなきゃって思う。
でもいっぱいありすぎて、迷うね」
「やっぱり売れ筋のを買うのが無難かな。
でも、僕も川瀬が良ければ貸すけど」
「ありがとう。オススメがあればぜひ」
良さげな本を手に、レジに向かう。
「決めるの早いね」
「うん、迷わない。付き合ってくれて、
ありがとう。川瀬には、普段の僕の休日を
見せたくて。まだ11時前だね。喫茶店で
コーヒーでも飲む?」
「うん。いいね」
池袋に来るといつも立ち寄る喫茶店に、
川瀬を案内した。
「雰囲気ある喫茶店だね」
店に入って早々、
川瀬が感心したように言った。
「岸野はここには、よく来るの?」
「うん、池袋に来る時はね」
川瀬にメニューを差し出し、頷いた。
「いいところを知ってるね」
「ありがとう、お気に入りの店なんだ」
僕と川瀬は、ホットコーヒーを選んだ。
コーヒーが来るのを待ちながら、
2人で窓からの景色を眺めた。
「池袋ってさ」
川瀬が呟くように言った。
「うん」
「浦和に住んでるからなのか、すごく身近」
「湘南新宿ラインに乗れば、すぐだもんね」
「うん。岸野は王子だから上野にも近いね」
「上野で、大学の友達とたまに飲んでるよ」
「そうなんだ」
「川瀬は、友達と会ってる?」
「最近は全然」
「会社に入って、自分のペースを保つのに
忙しいよね。川瀬、疲れてたら言って。
僕と会ってくれるのも頻繁じゃなくていい
から」
「え?」
「何」
「それ、気遣いのつもりで言ってる?」
「どういう意味?」
「こっちが聞きたいよ」
川瀬に苦笑いされて、頭が混乱した。
沈黙に包まれるのが居た堪れなくて、
震える指でコーヒーカップを持ち上げた。
「僕たちはまだ友達でもないから、
分かり合えるために時間を作っていく
必要があると思ってた。岸野は違うの?」
「川瀬、あの」
「特に、僕のスマホがなくなって、
10日以上連絡が取れなかったのもあるし。
気を遣われるより、岸野に会いたい。
僕は思うように気持ちは伝えられない
不器用な奴なんだけど。って、ごめん。
ちょっと語調が強かったかな」
「ううん、大丈夫。僕の方こそ、ごめん。
何か‥‥付き合ってもらってると思ってた
からつい。でも川瀬に会いたいって言って
もらえて嬉しかった。ありがとう」
「うん。嫌ならそもそも来ないし、
そんなに暇じゃないから安心して。
いっぱい喋ったら、ちょっと疲れたかも。
もうすぐランチの時間だし、食べようか」
「ここは軽食しかないし、何が食べたい?」
「そうだなあ、韓国料理が食べたい」
「食べよう。検索してみようか」
「うん」
少し冷たく見えた川瀬が、僕と同じように
歩みを進めてくれていたことを知り、
ホッとした。
もう少し、自信を持ってもいいのかも。
緊張と不安が和らいでいくのを感じていた。
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