4.冷たくしないで

1/1
前へ
/6ページ
次へ

4.冷たくしないで

多くの客で賑わう中、 サムギョプサルとチヂミを食べながら、 川瀬と語り合った。 「あー、ビール飲みたい」 「いいんじゃない?今日は休みだし」 「岸野も少し飲む?」 「そうだね、飲もうかな」 ビールとハイボールを頼み、食べ進めた。 「川瀬の話が途中だったね。話して」 「うん。高校の時、電車に乗り込む時に 靴を片方ホームに残しちゃって。脱げちゃ ったんだよね。何だか知らないけど。 で、仕方ないから駅と学校に電話して、 遅刻。その日は中間テストの初日だった」 「え、それでどうしたの」 「結局、受けられなくて赤点の人と一緒に、 追試決定。親には呆れられるし落ち込んだ」 「追試か。赤点は取ったことないなあ」 「岸野は僕と違って、優秀だもん。 最低点って、覚えてる?」 「え、70点くらい?」 「はは、さすが。レベルが違いすぎて 笑える」 「もう。笑わないでよ」 川瀬を軽く小突き、僕も微笑んだ。 「ところで岸野って、洋楽聴く?」 「あまり聴かないかも。川瀬は聴くの?」 「うん。逆に洋楽しか聴かないかも」 「オススメのアーティストはいる?」 「ラジオをよく聴くんで、曲優先で好きに なるかな。最近はネットで、1950年代の 音楽まで聴いてる」 「すごっ。じゃあカラオケ行っても、 洋楽歌うの?」 「そもそも、カラオケに行かないなあ」 「へえ。僕は、結構ひとりでも行くよ」 「意外だ」 「ストレス発散」 「この後、行ってみる?」 「うん。いろいろ歌いたいのがあるし」 「じゃあ、岸野にたくさん歌わせよう」 「川瀬も歌ってよ」 「歌い慣れてないから、期待しないで」 ビールとハイボールが来て、乾杯した。 酒気帯びのテンションのまま、 川瀬とカラオケボックスに入った。 「どうぞ歌って」 そう言いながら、川瀬はタブレットで 検索をかけ始める。 ここでまた川瀬の横顔を目の当たりにし、 「ホント、キレイだよね」 と思わず、心の声が出てしまった。 「何が」 「川瀬の横顔。いつも見惚れてる」 「またまた」 「触りたくなるよ」 「えっ」 明らかに川瀬が引いているのに気づき、 慌てて頭を下げた。 「ご、ごめん。嘘」 「触りたいの?いいけど」 意外な言葉に、瞬時に胸が熱くなった。 「いいの?」 「まあ、曲が死ぬほど入ってるから、 しばらく後になるけど」 そう言った川瀬が何故か爆笑している。 テレビ画面の予約は、 僕と川瀬の選曲したもので溢れていた。 「川瀬、歌い慣れてないんじゃ」 「岸野こそ、遠慮がなく入れてて笑った」 聞き慣れたイントロが流れ、 仕方なくマイクのスイッチをオンにした。 川瀬が歌い慣れていないというのは、 嘘だった。 流暢な英語の上手な歌に、 天は二物を与えずという言葉は 当てにならないと思った。 その中で、気になる曲があった。 冷たくしないでと邦題がつけられた その曲は、英語がネイティブではない 僕でもわかる比較的簡単な英語で、 電話に出ない、会ってくれない恋人に 対して訴えかけている歌詞だった。 「Don't Be Cruelかあ」 「にしては、明るい曲調でしょ」 「ホントに。びっくりだよ」 まさに川瀬と連絡が取れずにいた数日前の 僕の心境に、ぴったりだとは言わなかった。 「川瀬、英語うまいよね」 「高2の夏休みに、短期留学しただけだよ」 「へえ。それでも、すごいなあ」 「いい経験はできたね。で、どうする?」 「何が」 「もう忘れてる。岸野がいいって言うなら このままスルーしてもいいんだけど」 「え、何だっけ」 「大丈夫、何でもないよ」 「あ、うん」 本気で思い出せなかった。 川瀬は何を言っているんだろうと、 その時は思っていた。 カラオケボックスを出て、 池袋駅に向かって川瀬と並んで歩き、 ちらっと川瀬の横顔を見たら思い出した。 触っていいって言ってくれたのに。 「ごめん、思い出した」 「ふ、もうナシで。恥ずかしいから」 僅かに頬を染めた川瀬にそう言われ、 仕方なく頷いた。 ああ、勿体ない。 でも、こんな風にやり取りできたことが とても嬉しかった。 次は駅前にあるデパートの大型雑貨店に 向かった。 「シャンプーやコスメなんて、ドラッグ ストアで買うものだとばかり思ってたよ」 売り場の豊富なラインナップに、 川瀬は驚きを隠せない様子だ。 「岸野、いつも髪サラサラだもんね。 僕もお試しで買ってみようかなあ」 川瀬はシャンプーの並んだ棚にある、 シャンプーとコンディショナーが1回分 入った小さな袋を片っ端から手に取り、 カゴに入れていく。 「手頃な値段過ぎて、買い過ぎちゃうなあ」 「10個も入ってるけど。そんなに買うの?」 「いや、この中から岸野に選んでもらう」 シャンプー片手に真剣な表情を見せた川瀬に 僕は思わず笑顔になった。 かわいいなあ。 お目当てのシャンプーとコンディショナーの ボトルをカゴに入れて、 まだ選び続けている川瀬を見つめた。 「はい11個。ここから選んで?専門家さん」 「専門家さんて笑笑。まあネットで売れ筋を 調べて、数種類試しただけなんだけど」 「いいからいいから」 カゴを渡され、中を確認した。 「あ。このチョイス、なかなかいいかも。 僕が使ってるのもあるし売れ筋も入ってる。 じゃあ、この6個で」 「早っ」 「試したら、感想を教えて。今後の参考に するから」 「わかった。必ず報告するよ」 「今日はありがとう。僕の休日の過ごし方は こんな感じなんだけど、川瀬、これから どうする?もうすぐ16時だけど」 「岸野は実家に住んでるんだよね。僕は、 今月から実家近くにひとり暮らしを始めた んだ。もし良ければ、うちに来ない?」 「え、そうなの?スマホ買い替えたり、 ひとり暮らし始めたりでお金大変なのに、 今日はお金使わせてごめんね」 「また、変な気を遣うんだから。大丈夫。 初デートなんだし、これくらい使うでしょ。で、浦和で良ければうちに来る?笑」 「もちろん行くよ。連れてって」 「狭いけど、覚悟してね。じゃあ行こうか」 そう言った川瀬に、手を差し出された。 「え?」 「あれ。付き合ってるんだし。こうして 繋ぐものじゃないの」 「はっ、はい」 川瀬の嬉しい一言に、僕は動揺しながらも ゆるゆると手を伸ばした。 川瀬の手に初めて触れた感激で、頬が緩む。 「内気を克服するのに、結構頑張ってます」 「あはは」 僕は軽く笑ったが、川瀬の内気さは僕以上。 それを知っていたから、この言動はかなり 勇気を振り絞ったんじゃないかと思った。 恋人との距離が、少しずつ近づいている。 嬉しくて、川瀬の握る手の力を強めた。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!

15人が本棚に入れています
本棚に追加