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母の結城優子は銀行の融資係という、企業にお金を貸すために定期的に訪問するのが仕事だ。
取引先の企業は大小さまざまで、何十人も従業員を抱える会社もあれば、夫婦で営んでいる商店もあるらしい。
桜餅を作っているのは40代の店主で、その母が接客をする。その二人以外には、他に店員はいない。店主の父は病気で亡くなってしまい、亡き父直伝の昔ながらの和菓子が並ぶ。
* * *
銀行で仕事中、優子の元に電話がかかってきた。
「みつみつ堂さんですね。お久しぶりです!」
「……結城さん。相談したいことがある……」
店主の声は、今にも死んでしまいそうなくらい暗い。最悪な事態も想像してしまった優子は、すぐにみつみつ堂に駆けつけた。
「ごめんください」
店舗に着くと、3時のおやつの時間は過ぎていたが、ショーケースには和菓子がたくさん残っていた。調子が良い日は、昼過ぎに売り切れて早々に店じまいをしたこともあるのに。
「いらっしゃいませ……あ、結城さん!」
スーツ姿の優子に気づいた店主は、眉を寄せてシクシクと泣き始めた。緊張の糸が切れたように。
「どうしよう! 結城さん! せっかく作った和菓子が売れない……」
悲痛な叫びだった。誰にも相談できなかったのだろうか。店主の母にも弱い姿を見せられなかったのかもしれない。
「ああ、泣かないでください。このハンカチで拭いて」
「ありがとう……」
差し出したハンカチで店主は涙を拭った。感情を吐き出したことで、少し落ち着いてきたようだ。
「やはり、近くに和菓子のライバル店ができたことが影響していますか……?」
新聞の折込チラシに「おかしの大月」の美味しそうなお菓子の写真が並んでいたのを思い出す。嫌な予感はしたが、客をごっそりと持って行かれるとは。
昔ながらのみつみつ堂と、新しくて綺麗な店内のおかしの大月。
大福や団子のみつみつ堂と、和菓子だけでなくケーキやかき氷まで多岐に渡るおかしの大月。
駐車場は2台だけ停められるみつみつ堂と、十数台は停められるおかしの大月。
強力な……強力すぎるライバル店だ。誰が店主だったとしても、こんな強敵と戦うことになるのは嫌だろう。
店主はハンカチを強く握りしめた。
「そうだよ。大月ができてから客足が減ってしまった。お菓子が売れないと、やっていけないよ。こんな状態では、年明けには店を閉めるかもしれない……」
「そんな寂しいこと言わないでくださいよ。私も一緒になって考えますから」
店を畳むことは、もちろん寂しいけれど、銀行側としても融資先が1件消えるということだ。優子も会社で中堅の立場となり、銀行の売上に貢献したいと思っていた。それでも店主の気持ちに寄り添いたいと優子は願った。
「一緒になって考えてくれるって……具体的にはどんなことかな?」
「そうですね……新商品を発売してみてはどうですか? ライバル店に負けないくらいのものを」
「新商品かぁ……」
店主は唸るように返事をした。今までと同じことをしていても、勝負に負けるとわかっているのだろう。
みつみつ堂の主力商品の豆大福は、甘さ控えめの餡が絶品だ。けれど、同じ商品を競い合うようにおかしの大月に並べられて、しかも数十円は安い。大量に作ることで生産コストを抑えているのだろう。味はまあまあ。お店のネームバリューと値段で大きく負けている。
「どんなものを作ったらいいと思う?」
「おかしの大月は、安さを売りにしていますからね。差別化をしたいところだと思います。……ちょっと値段が高くても、美味しいからついつい食べたくなるもの――そうだ」
優子はひらめいた。
「春限定で桜餅を作ってみてはどうですか? これからの春に向けてやってみませんか? 日本人は限定に弱いですし、何よりみつみつ堂ならではの餡の美味しさのアピールになると思いますよ」
「桜餅かぁ。確かに今まで商品になかったな。……国産の素材にこだわってみるとか」
「良いじゃないですか。私も材料にこだわった桜餅を食べてみたいです!」
あっという間に商品のコンセプトが決まった。ちょっぴり贅沢路線だ。
何個か試作品を作るよ、と店主は意欲的に言ってくれて、優子は元気を取り戻した姿にホッとした。
こうして、優子と店主の二人で新商品の開発が始まった。
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