子育て終わりの一つの夫婦の形。

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私は元来子供嫌いだった。 けれど初めての妊娠判定薬を見た時に不思議な位舞い上がった。 そこから自分の子供が好きになった。 旦那は中距離トラックの運転手だった。 有難い事に?帰宅するのは二週間に一回だ。 私は給料さえ頂けて、子供と毎日を暮らしているのが楽しくて仕方がなかった。 愛情が殆んどない分、彼に求める物も、彼が私に求める物もそんなになくお互い気楽な人生を歩んでいたと思う。 乳呑子の頃からお父さんは滅多にいない家庭に子供は育つと、それが当たり前になり、別に嫌いでも好きでもないという感覚になっていった様だ。 父親の方も余り子育て、子供にあまり興味は無さそうだった。 でも家にいる時は遊びに連れていってくれたり、お風呂や食事介助もしてくれた。 こんな夫婦愛のない家庭だからこそ分かった事があった。 私達の繋がりは、子育ての共同経営者という事だ。 子供がいなければ入籍さえする必要はない、と私は思っている。 そこに愛があるなら婚姻届なんて紙切れ出さなくても続けられるはずだ。 そこに安心感を求めたい愛は、少なくとも永遠を語れるのだろうか? まぁそれは人それぞれか。 ともかくうちは子育て経営家庭だった。 そう。その息子達が自立し家を巣立って行った。 そもそも1人として家に残るという選択をしなかった我が子は、私が散々「20になったら自活してくれ。母は母の人生が歩みたい。」と常々言ってたからだろう。 愛は伝わっているはずだから二人とも笑顔で家を出た。 子供らとは今でも友達の様にラインして電話をする、たまには帰省してくるが、接待はしない。 子供らも自立する頃には、すっかり父親とは疎遠になっていた。 嫌いという訳ではなく、まぁ男同士不必要な話をしなくなった、という延長線上みたいだった。 その時も旦那はトレーラーに乗っていた。 私は子供も育て上げ、悠々自適な1人生活をしていた。 私達は46になっていた。 子育てを後悔した事はない。 ただまだ何かやり残した事がある様な気がした。 そうすると嫁、妻であることが何だか馬鹿馬鹿しくなった。 もう母は終わった。 子育て経営は終わったのだ。 まだやり直すにはギリギリいける年齢だ。 今がチャンスかも知れない。 子供らは「どんな選択をしてもママの人生だから応援するよ。」と言ってくれている。 旦那は子育てに干渉も興味もなかった様だが、真面目でタバコもお酒もしなく付き合いにも出ない無趣味な人で、けれど子供たちを大学まで入れ卒業させる事も、塾に入れる事も【金さえ払えば育児をしている】という人間だったので、愛は殆ど無かったが、お金の面で苦労する事はなかった。 だが、愛する対象の子供たちが巣立って、私はいよいよ妻であり、嫁である事に窮屈を感じる様になった。 愛する矛先がなくなった嫁、妻の立場といえば、いずれ来る介護やただ無作為に歳を取るつまらない人生ではないか! 私は離婚を考えた。 私として自由に生きたいと考えた。 流石に歳を考えると激しい恋愛をしたいという訳ではなかったが、 「誰々の奥さん。」 「何々君のお母さん。」 以外での生き方をしたかった。 46はそれが出来る最後のチャンスだとも思っていた。 旦那に情はなかった。 だから役所に離婚届けを取りに行くのも躊躇いはなかった。
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