子育て終わりの一つの夫婦の形。

35/45
前へ
/45ページ
次へ
妻が妻でなくなって一年が経つ。 俺が思っていた程、環境も世間体も変化はなかった。 元々ドライバーは一人仕事。 嫁がいようがいまいがあまりそんな話をする事もないし、どちらかというと浮気相手だとか風俗やギャンブルがどうこう、といった話の方が盛り上がるみたいだし、俺の離婚について深く追及する程皆興味はなさそうだった。 がらんどうになった我が家も休日に手を入れ、思ったよりも早く片付いた。 あれから俺はトラックで生活をしている。 ただ住所不定はそれなりに困るので、住所だけは実家にしておいた。 という事は郵便物は実家に届く事になり、俺は関わりたくなかったのに、定期的に関わらなくてはならないのが堪らなく嫌で、社長に無理を言って事務所に郵便物を転送して貰う事になったのは、つい最近だ。 これで母さんの小言や父さんの無責任な態度から逃れる事が出来た。 家が売れるまではとにかく片付けが忙しく、考えている暇等ほとんどなかった。 家が売れてショートメールで初めて別れた妻に連絡をした。 「ご苦労様、大変だったろうね。」 と返ってきた。 そう思うんだったら手伝ってくれても、、と少しは思ったが、それを言うのは余りに酷い。 贖罪だと思って一人で頑張った。 はっきりいって家というのはそもそも嫁さんの住まいなので、ローンは俺が組んでいるとはいえ、仕様は全て妻仕様で、俺はそんなに帰る事もなかったので、感慨深い、、とセンチメンタルになる事もなかった。 ただ、折角苦労して設置したオーディオを解体する時だけ、ここでよく妻とDVDを観ながら和菓子を食べた光景を思い出し切なくなった。 子供達とは時々ラインをしている。 文章不得手、口下手、そもそも子供達の事を何も知らない状態でラインを打つのには勇気がいったし、内容も一時間位考えて、「元気か?」位しか打てない。 子供達には離婚前から会っていないが、ラインを打つとそれなりに「うん。元気。」と定型文の様な形で帰ってくる。 今更距離は縮められないって事だ。 それだけ俺は父として子供の事に無頓着だった。 まぁでも返事が来るだけましか、、 これも妻のお陰かも知れないな。 俺は子供達に会ってはいないが、祖父母には子供達は会いに行ったり泊まったりしているらしい。離婚しても仲良く祖父母達との関係を保てているのも、、多分、妻のお陰だ。 父にはなんかないんかい! と、思う事もあるが、実際子供達と対面して何を語るという訳でも、考えもないので、それを子供に求めるのは違うだろう。 家の売却が終わり、トラック生活を安心して送れる様になってからは、しばしば妻の顔を思い出す。そして家庭を思っていた以上に顧みなかった自分の事も思い出す。 家に帰れなくなってからというもの、実家では気心落ち着かないし、小言は多いし、全く休まらなかった。 だから休日だというのに事ある事に理由をつけて洗車したり、オイル交換して気を紛らわせた。 しかしそれも限界がある。 たまに同僚に飲みに行こうと誘われるが、そもそも俺はそんなに酒が好きではない。 二次会だとキャバクラやソープなんか連れて行かれても、俺はそーゆーのには全く興味がなくて、逆に何でこんな高い金を払って下らない話を聞かなければならないのか?と苦痛にしか感じながった。 ソープにしてもしかり、確かに最初は勃つんだけど、俺が軟弱なのか、つい「どうせ金儲けの為に嫌々やってるんだろ?」という疑心暗鬼がとれなくて、俺は結局最後までする事はなかった。 逆にそうなればそうなるほど程、妻との営みが懐かしくそうして今でも興奮する。 俺はかなり未練がましいという事だけはわかった。 味気のない毎日掃除を無作為に暮らす。 もうあの熱い包容も営みも彼女の笑顔も見れなくなるとほんと、俺は今何をしているんだろう?という気持ちになる。 元々受け身だった俺は、彼女の提案を飲むばかりで、ただそこへ連れていく、皆が楽しければそれでいいと思っていた。 あいつは今頃何をやっているんだろう、、、 気にはなっても、連絡を自分からする勇気はなかった。情けない話だが、、、
/45ページ

最初のコメントを投稿しよう!

66人が本棚に入れています
本棚に追加