95人が本棚に入れています
本棚に追加
/98ページ
もちろん、昴だって、それがすぐに叶う夢じゃないことぐらいわかっている。
でも、はじめの一歩を踏み出さなければ、そこに到達する可能性だってゼロのままだし。
そんなことを考えながら壁画を見つめていると、自分と同じように壁画を見ている人の存在に気づいた。
たぶん20代半ば。
アッシュグレーに染めた髪を涼しげなショートカットにして、細めのフレームの眼鏡をかけ、シンプルな白シャツにダークブルーのパンツをはいた男性だった。
思わず、声をかけようかと思ったけれど寸前でやめた。
もしかしたら、壁画を観に来たわけじゃなく、単に待ち合わせしているだけかもしれないし。
彼より先に、昴はその場を離れた。
だが、日が経つにつれ、忘れるどころか、その日のことが心を占領するようになった。
後悔が雪だるま式に膨らんでゆく。
どうして「その絵、好きなんですか?」と一言、声をかけられなかったのか、と。
たった数分、すれ違っただけの人なのに忘れられなかった。
大勢の人々が行き交う喧騒のなかで、その人の周りだけ静けさに包まれていた。
その静謐な佇まいに惹かれたのだと思う。
最初のコメントを投稿しよう!