タダの飲食店

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タダの飲食店

私が料理を食べる手を止めたところで、向かいに座っている彼が感想を述べる。 「いやー、店員がガイコツなのには驚いたけど。料理はどれも美味いし、しかもこれだけ食べてもタダなんだからやっぱり来て良かったな」 「でしょ、また来ようよ」 「そうだな」  初めは嫌がっていた彼だが、何とか気に入ってもらえたようだ。  帰るためにランタンを持って席を立ち上がる。その時、薄暗い店内に野太い男の声が響く。 「お客さま、まだお皿に料理が残っております。すべて完食頂けなければタダでは済みませんよ」 「これって俺たちのことか?」 「多分そう。でも、私もうお腹いっぱいだし」 「だから頼み過ぎだって言ったんだ。それよりどうするんだ。俺、アレルギーだから食べてやれないぞ」  彼と話していると、またどこからか声が聞こえてくる。しかしさっきと違い、その声は怒りを孕んでいた。 「料理を残すならお前達をタダでは帰さん。金は要らない。それ相応の対価を、お前達自身で支払って貰う」  声の主のあまりの変容ぶりに呆気にとられるも、咄嗟に文句が口を突いて出ていた。  隣の彼は状況の理解が追いつかず硬直している。 「ちょっと何よそれ! もう食べられないんだからしょうがないじゃない。私にまだ食べろって言うの!」  冷徹で低い声が、さっきよりはっきりと耳に届く。 「女、どの道お前が吐く未来は変わらない。死ぬ気で口に詰め込め。それからーー」  はっきりした物言いに、私は腹が立って仕方ない。反論しようとしたが、そこに割って入ったのは彼だった。 「なあ、店員さん。客に対しての言葉遣いがなってないんじゃないですか? 料理を残したことを指摘されたところまでは許せます。ただ、彼女をお前呼ばわりしたことについては、俺はどうしても許せない。彼女に謝ってください」  わずかな沈黙が流れた後、暗闇の奥から笑い声が聞こえてくる。隣に立つ彼は眉を顰めた。 「続きだ。忠告しておく。男のほう、絡む人間を間違えてるぞ。食べ物を粗末するような奴と関わるとろくなことがない。命を捨てているようなものだ。いつかお前も捨てられるぞ、その女に」  彼は間髪入れずに言い返す。だが気のせいか、彼の言葉にさっきまでの勢いは感じない。 「彼女を選んだことに後悔はない。俺は捨てられないように努力し続ける。他に言いたい事はあるか、臆病者」 「お前はもういい。おい、女」 「何よ」 「なぜ、お前はあの量の注文をした。頼む前に一人じゃ食べ切れないことくらい分かるだろ。万が一残したとしても、隣のそいつでも食べられる料理なら残さずに済んだはずだ。お前のそいつに対する意識は所詮その程度か」 「……ッ、そんなわけない!」 「なら証明してみろ」  咄嗟に出た否定も虚しく、私は言葉に詰まる。お皿に乗った食べ残しを視界に入れると途端に吐き気を催してしまう。とても食べられそうにない。  するとそんな私を見兼ねてか、彼がまた会話に割って入る。 「彼女が残した料理は、俺が食べる。それでいいだろ」 「またお前か。別にそれでも構わない。だがお前はどうだ、女。証明しなくていいのか、そいつの前で」  アレルギーがある彼に食べさせるわけにはいかない。私は彼にも言っていない、努力の話をした。 「ち、チートデイ……だから。今日が炭水化物解禁の日だったから、いっぱい食べたくて……」  悔しいが、涙が出ていた。座り込んだ私に寄り添う彼が心配そうに声をかけてくれる。  その時。頭上からはっきりと、野太い声が降ってくる。肩に置かれた彼の手が震える。 「ダイエット、か……。太れるっていいな、女よ」  予想外の言葉に、自然と涙が止まった。その声はこれまでにない心に沁みる優しさを孕んでいた。 「食べたくても。いや……太りたくても、太れない人間がこの世にはいる。お前が残した料理を、喉から手が出るほどに欲する人間が世界には数え切れないほど溢れている」 「……はい」 「それを踏まえてもう一度聞く。その人間の前で、お前は始めと同じことが言えるか? もし言えなければ、何か代わりに言いたいことはあるか?」 「私は。私が恵まれた環境にいることに感謝して精一杯生きていきます。……それから。もう絶対、食べ物を粗末にしません」  私は恐るおそる顔を上げると、周りには彼以外誰もいない。すると突如、テーブルに置いていた蝋燭が激しく燃え上がり、ランタンを包み込んだ。テーブルに火が移りそうになり、私は急いで料理が残るお皿を回収した。  直後、テーブルと椅子が炎に呑まれ、真っ暗の店内が明るく照らし出される。  私は目の前に広がる光景に、お皿を落とした。まだ残りを食べてもいないのに私の口の中は胃酸で苦い。
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