ある一人の少女の物語

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「申し訳ございません! 奥様はおられますか!?」 「若様が怪我をなさった、急いで医者を!」 「兄さま!!」  教会の依頼を受けたリュカが高所から落下し、大怪我を負った。  玄関ホールで神父様に担がれたリュカがいて、二人の職人がしどろもどろになる。青白い顔で瞼を閉じ、額と脇腹からは流血している。動揺が屋敷中を走る中、母は俊敏に手配を指示した。医者の見立てでは二ヶ月ほどの治療となり、意識を戻した兄はこってり母から安易に受けるなと怒られるのを忘れない。 「リュカが怪我をしたって!?」 「しーっ。兄さまはよ。忙しいのに来てくれてありがとう」 「構わないよ。顔を見られただけでもよかった」  規則正しく寝息をたて、静かに眠るリュカの姿にノエルは落ち着いたようだった。この時、リュウールがノエルの方を振り向いていたなら、また違った結末もあったのだろうか。声にならない囁きを聴き逃したのを知るのは、発した彼だけだ。 「なぜ、リュカは血が止まらなかったんだ……」  ここからはリュウールの記憶が曖昧だ。  「兄さんとノエルが亡くなったのだって、半分は姉さんのせいじゃん!」 「どういうこと……? 家を出たんじゃなくて?」 「えっあっ」 「リュシアン!」 「あだっ」  逃すまいと両肩を掴み、いくらか背が伸びた弟を押し倒して迫る。リュシアンはぶつけた拍子に倒れたまま、視線を合わせないまま白状した。 「街外れの湖で二人は沈んだって。よくわかんない遺書あってさ。死が片方を分つより共に絶つことを選ぶって……」  リュウールの脳裏に大怪我した出来事が浮かぶ。本来なら、リュウールと同じくリュカも顕現されるのだとしたら。兄は軽い怪我は日常にしてきたが、絆創膏を常にしていた。今・の・リュウールのような身体になるまでを思い巡らしても、変化があまりにも遅い。ノエルは悟ったのだろう。永遠にいられないことを。 いつ飛び込んだのか不明にも関わらず、冷たい水温が幸いしたのか美しい姿のままだったらしい。水草が二人を縛り、引き上げられず、また神の愛に背いた罰として放置されてるそうだ。お互いの胸に一輪の大きな花を咲かせて散ったーー。  母がリュウールが後を追ってしまうかもしれないと箝口令をしき、みんな黙認していた。リュウールを守るために。 「馬鹿ね……。()()()()()()死ねないわ」    思い出の植物園に一人向かい、立ち尽くす。肌寒く、凍えるまでとはいかずとも鼻水を啜るほどだ。  もう花は枯れ果てただろうかと引いた水路を歩いてると、水仙が視界に移った。小ぶりの花びらを満開に道を作るように沿う。 「そうだったわ、いつも寒い時に咲くのね」  黄色や白に踊る水仙の前でしゃがみ、花をつつく。 「あれから私は誰も愛せなくなったの、不思議と寂しくは感じないものね。ノエルが私の中にいるから……。あなたに染められた身で永遠に生きるわ」  何年か後にはこのまま暮らすのは厳しくなるだろう。  それは幸せなのか、不幸なのか分からない。それでもリュウールは幸せを感じている。季節は何周目となるだろうか。怪我をしても、傷の治りが早くなった。周囲で流れていく時間とは不相応な身体が現実を突きつける。最近は、メイドが「お嬢様は変わらないですね」と羨望の眼差しを注いでくる。 「君がリュウールかね。ノエルが愛を見つけられるとは。非常に歪んだ愛ではあったが……。君はこれからどうするかね?」  誰も来なくなった白いコンサバトリーで、急に声が降ってくきた。物珍しい訪問客はリュアールに静かに話しかけた。ベルが鳴る音も、窓が開く音もしなかった。  年は五十か六十代だろうか、白髭が混ざる黒髭をいじっている。灰色のスーツ姿で和かに落ち着いた渋い声が、リュウールの心を溶かす。 「もしかして……あなたはサンジェルマン伯爵ですか?」 「さて、どうじゃったかな。あの子を創り出した者として責任を取ろう。どうだろう、私の養女にならないか?」 「養女に……?」  手品のように、手のひらからトランプ程のカードが複数現れた。リュウールが目を輝かせていると、瞳が優しく細められた。 「君の母には話をつけてある。養女といっても、君は自由だ。血を分けた息子たちがいるのだが、彼らの話し相手になってもらいたい」 「なんだか賑やかそうね。行くわ」 「歓迎しようーー我が一人娘、リュウール」  ある一人の少女が屋敷から姿を消した。全ての結末を知るのは、母と数年後に若き当主となるリュシアンだけだ。  なに一つ特技や目的を持たなかった少女が、ある一人との恋に人生を染められ、数奇な人物に導かれてーー永遠に咲き続ける。
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