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「恵祐くん、就職活動すすんでる?」
カウンター越しにハナちゃんが声をかけてきた。
注文があるわけではないようで、トレイは持たず、缶コーヒーを飲んでいた。
今シーズンのオープンから半月。今夜は雪が降っている。
ハナちゃんは常連客で、徹夜でガンガンすべるタイプには見えないのに、夜のゲレンデの雰囲気が好きだからと、ひと冬に何度もやってくる。
バイトを始めて2年目に顔を覚え、次の年は話をし、今では顔を見たら声をかけあう関係になっていた。
「さっぱりダメです」
オレは食器を洗浄機に並べながら、顔だけをハナちゃんに向ける。
深夜には少し早いこの時間は客もほとんどなく、店内に流れるFMラジオの洋楽だけが静かに聞こえてくる。
「気持ちが乗らないっていうか。動き出せないっていうか」
「あらあら」
ズズズとハナちゃんがコーヒーをすする。
「つまり、逃げてるんだ?」
「ま、ぶっちゃけたら、そういうことです」
洗浄機のふたを閉めスイッチを押す。
ブーという古臭いブザーとともに、洗浄機が動き出す。
「会社訪問とかするんでしょ」
「一応、そのつもりはあるんですけど」
「リクルートスーツ着て?」
「母親に言われて、買いには行きましたけど」
「なによ、ほんと、にえきらないわねえ」
ハナちゃんが口をとがらす。
ハナちゃんの目は細くたれているので、怒った顔になっても迫力がない。
「いっそ、どーんと東京とか行ったら?」
「だめですよ。オレ田舎の長男だし。家、継がなくちゃ」
「ふうん」
オレは漂白中の布巾をバケツから取り出して、1枚ずつゆすいでいく。
「大学の就職課から、呼び出しくらってんですよ」
「ははっ。呼び出しなんて中学生みたい」
ハナちゃんが楽しそうに手をたたく。
「人ごとだと思って」
ハナちゃんはそしらぬ顔で外を見て、
「あら、吹雪いてきた。じゃあ、ゆっくりしてなんか食べよっと」
そそくさと食券売り場に移動する。
ロッジで食事をするときのハナちゃんはいつも1人だ。
前に、「夜通し1人ですべってるんですか?」と聞いたら、「女1人でそれはむなしすぎるでしょ」と笑った。
ということは友達か彼氏と一緒なんだとその時は思ったけど、うまくはぐらかされただけかもしれない。
ハナちゃんは謎の人だ。
名前からして本名かどうか怪しい。
年はオレより上だと思うけど、どれくらい上なのかわからない。
6歳上のお姉ちゃんより少し若いくらいか、と思ってるけど、笑うと案外オレと変わらないのかも、と思ってしまう。
スキーウエアが毎年変わるので(しかもけっこう流行の服ばかり)、働いてはいるんだろう。お金持ちのお嬢さんという感じでもないし、学生っぽくもない。
入口からにぎやかな声が聞こえてきた。
外が吹雪いてきたので、あたたまりに来た人たちだろう。
忙しくなりそうだ。
オレは残りの布巾をまとめてしぼると、丼用の漬物皿を並べ始めた。
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