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「非番のところ悪いが、殺人事件だ。すぐ来られるか?」
「はい、行きます」
即座に応えた。ここで行かないという選択肢はない。
「都橋2丁目の大川通り裏だ。飲み屋やゲームセンターが建ち並んでいるあたり。わかるな?」
「はい。着替えたらすぐに向かいます」
「美樹本」と伊田は難しそうな声で名を呼んだ。
「何ですか?」
「覚悟して来いよ。酷い現場だ」
そう言って電話は切れた。
ゴクリ、とつばを飲み込む雅。
殺人事件の現場には、一度だけ臨場したことがある。あの時も被害者の遺体は激しい傷痕がつき、血まみれで、酷かった。だが、伊田の口調からは、それどころではないという雰囲気が伝わってくる。
大きく息を吐き、気持ちを整えた。
「事件か?」
若林は即座に察知したようだ。
「はい。すみません。すぐに向かいます。彼女のこと、お願いできますか?」
若林は頷いて、早く行け、とでもいうように目配せした。
雅はいったん離れかけたが、気になって戻る。そしてさちの肩に手をかけた。
「私は行きますが、ここは安心して良い場所ですからね。それから、もし何かあったら、連絡してください」
そう言ってポーチから名刺を取り出し、さちの目の前のデスクに置く。
さちはジッと雅の目を見つめてきた。
何を考えているのか、あるいは何も考えていないのか、虚無感の漂う瞳が震えている。
雅はもう一度「大丈夫」と言って頷き、交番をあとにする。
さちの視線を感じたが、気のせいかも知れない。
どこか後ろ髪を引かれる思いがしたものの、雅は足を速めた。
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