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再び繋がった細長い糸だったけれども
例えその人間が、道義に反する行為をしていたとしても、数ヶ月一つ屋根で暮らしていて、かつ自分にとっては無害な存在だったならば……急に連絡が取れなくなったなら心配くらいはする。
それどころか、こういう時になり、語学学校の課題が全く手につかなくなるくらいには
「嫌われたかもしれない……」
と考えるだけで泣きたくなった。
それくらいには、私は愛子さんが好きだったのだ。
一緒にご飯を作ったのも、家電を貸し借りし合ったのも、眠れない夜にビールを片手にたわいもない話をしたのも、全部私のトロント生活のかけがえのない思い出になっていた。
私の帰国日は迫っていた。1ヶ月後に。
一方で愛子さんのビザはまだ残っている。
日本での地元は2人ともバラバラ。
だから、もし1ヶ月以内に帰ってこなければ、どちらにしろこれでもう2度と会えないかもしれない。
でも、時々Facebookで近況をやりとりするくらいの、細長い糸では繋がれる。
そんな期待はあった。
それを、私の不必要な言葉で断ち切ったのだ。
私はこう考えていた。
婚約者の人は、私のメッセージを見せたのだろう。愛子さんに。
そうしたら、facebookで私が愛子さんについて余計なことを婚約者に言ったと、愛子さんが思ったのだろう。
だから、私と話をするのが嫌になって、友達登録を解除したのだと。
実際この手のことは、トロントではよく経験していたから、その時と同じように
「ああ、またか」
くらいに思えたらよかったのに。
でもできない。
半年も一緒に、母国語が通じない異国で、同じ家に暮らせば家族以上の仲間意識が生まれる。
それが、海外で共に暮らす、ということなのだ。
またか、なんて簡単に諦めることが出来なかった。
謝りたい。できるなら。
でも、友達登録を解除されたFacebookを使って連絡を取ることは怖かった。
もし、拒絶されたら?
想像しただけで胸が痛かった。
あと1ヶ月しかいないのに、もっと楽しむべきこと、やるべきことがたくさんあったはずなのに、私の1月2日のトイレの個室の失敗で、頭の中が支配されていた。
ところが、事態は私の想像よりずっと昼ドラ化していた。
そのことを知ったのは、トムから私のメールアドレスを聞かれた時。
愛子さんがトムに頼んだのだそうだ。
私は急いでトムに、無駄に長い、スペルを間違えそうなメールアドレスをメモ書きして教えた。
トムにメモを渡した後で、何度も
「スペルをミスしていたらどうしよう」
と心配をした。
その心配からようやく解放されたのは、教えてから半日後に愛子さんからのメールが受信箱に入っているのを確認してから。
……感じたこともないような嫌な予感と、愛子さんから連絡がきた喜びの2つが、ぐちゃぐちゃに混ざり合っていた。
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