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「草太、ずっとお前には黙っていたけどな、実は父さんは、いわゆるその……ゲイ、なんだ」
晴天ならぬ、真夜中のへきれき。
へきれきってどんな意味かはわからないし漢字も忘れたけど。
風呂上がりで、温泉まんじゅうみたいにホカホカの橘 草太の目の前にはイチゴのホールケーキがどんと鎮座している。
明日は日曜日。せっかくだから夜の十二時まわってすぐに草太の十七歳の誕生日を祝うことになった。その時に大事な話があると真也に言われた。これは何かあるなと思っていたが。
てっきり再婚話かと、ある程度覚悟は決めていたのに。
「予想の斜め上をいったね、父さん」
「草太、お前、驚かないのか?」
「は? 俺が? 驚かないのかって?」
ばんっと、ダイニングテーブルに、容赦なく手のひらをたたきつけた。
「驚いてるに決まってんじゃん! いきなり誕生日の夜に、マジな顔して何を言うかと思えば、そんなこと……。驚きすぎて、腹減ってきたよ。あ〜〜もう、このケーキ、切るの面倒! 丸ごと食うからっ!」
死ぬまでに一度やってみたかったことのひとつ、ホールケーキにフォークをぶっさし、そのままかぶりつくこと! 奇しくも高校二年で達成してしまった。
「なんだこれ、むっちゃうまいな!」
「ああ、お前が前においしいっていってたパン屋さんで買ってきたからな」
「へええ。覚えててくれたんだ。父さんってそーいうところはマメだよね。……そんで? ゲイだって告白して終わりってわけないよね。まさか恋人が今からくるとか」
半ばやけくそで、がつがつとケーキを食いすすめる。真也は眼鏡の奥の気弱そうな瞳をすぼめた。目尻に皺は増えてきたけど、真也はまだまだイケてる。いわゆるイケメンの部類だと思う。昔からクラスメイトには、「モデルさんみたいなお父さんでうらやましいな」と言われ、鼻が高かった。
他の友だちの父親と違って、パンツ一つでうろついたり、平気で放屁したりしない
息子の前でも気を抜かないお堅い人だと思っていたが、まさかのゲイだったとは。
「今は恋人はいないよ。お前にちゃんと話をしてからって決めていたから。お前が大人になるまでは、恋人はつくらないから大丈夫だよ」
「ふ〜〜ん。親権を放り出すってわけでもないんだね」
「草太……」
「ごめん。口がすべった。でも、俺は今日は何をいっても許されると思うけど。よりにもよって誕生日にこんな告白聞かされる身にもなってよ」
「そうだな、ごめん」
「だからそこで本気にしないでくれる? 父さんは怒るタイミングずれてるよね。死んだ母さんにも呆れられなかった?」
一瞬、真也の顔が不自然に歪んだ。
それで草太も思わず手を止める。
口いっぱいに頬張ったケーキの咀嚼音だけが部屋に広がる。
「実はな草太。お前に嘘をついていたことが、もうひとつだけあるんだ」
「え、何……こわ。さっきの告白より、こっちの方が本命かよ。聞かなくてもいいからもう寝かせてくれない?」
「いやだめだ。今日、お前にこの話をするためにその人に許しももらってる」
「何そのもったいぶった言い方。やだ、聞きたくない!」
「いいから、ちゃんと聞きなさい。ほら、フォークをおいて」
「……なんだよ、急に父親面してうるせぇな」
口をとがらせながらも、父の言うことには従ってしまうのは、草太が二歳の頃、病気で亡くなってしまった母に代わって、仕事より何より草太を優先して育ててくれた恩があるからだと思う。
草太は母親の顔を知らない。この家に母の写真は一枚もないのだ。
普通は仏壇においたりするものだと思うが、何と橘家には仏壇もなかった。
思えば昔からずっと違和感はあったのだ。
「ちょっと待って、父さん。俺も聞きたいことができた」
「できれば先に父さんの話を聞いてほしいんだけどな」
「いやだめ。俺から話す。だって俺の方が切迫してるから!」
「切迫って、お前、いつのまにそんな難しい言葉を……。父さんはうれしいぞ」
「うるせぇなぁ! 蒼一に借りた本に載ってたんだよっ。いいだろ、今はそんなこと。それより、さっき父さん、ゲイって言ったよな。それって最近そうなったわけじゃなくって、昔からずっとそうだったわけだよね」
真也の薄い茶色の瞳が揺れたような気がした。その瞳は、草太も受け継いでいる。おまけに色素の薄い茶色の髪も、さわり心地がいいと女子にも評判がいい猫毛も、何もかも全部、父の遺伝だと。そう思っていた。
父の告白を聞くまでは。
「それなのに、どうして、母さんと結婚したの。普通はしないよね。俺ってまさかもらわれっ子だったの」
口に出すと、現実味をおびてきた。
さすがの草太も冷静ではいられなくなってきた。テーブルにおいた手が、肩が、かたかたふるえだしている。
「まさか……、それが今日、言いたかったふたつめのこと? 俺の父親ってずっと嘘をついていたって」
「草太……っ」
「だったらなんで、今も結婚指輪してるんだよ。母さんなんて、本当はいなかったんだろ。だから写真だって一枚もないし、母さんの話も全然しないんだろ。できないんだろ! 本当はいないから!」
「草太!」
「ふぎゃっ!」
殴られた!と思った瞬間、いすから転げ落ちていた。見上げる真也の眉間には太い太い皺が刻まれていた。しまった。真也は普段はびっくりするほど穏やかだが、キレると何よりも怖い。
だけど、今、キレる時か?
いつもなら大魔神の前にひれ伏すだけの草太だったが、今日は違った。無駄な抵抗だとわかっていたが、体中の勇気をしぼりだして父親を睨みつけたのだ。
「だって俺、いやだからな。父さんの息子だって、俺、それだけはずっと俺の自慢だったのに……」
言った瞬間、涙が溢れた。
自分でも泣くとは思わなかったので驚いたが、真也はもっと焦っていた。さっきまでの怒りのオーラをかなぐりすてて、草太の前にしゃがみこんだのだ。
「草太……。すまん、ああ、歯で頬を噛んだのか。血がでてる。ちょっと強く殴りすぎたな」
「ちょっとじゃねぇよ、すんげぇ痛かったよ! なんだよ俺、馬鹿みたいじゃん。なんで自分の誕生日に父親にゲイだって言われて殴られてんの。世界中でこんな誕生日迎えてんの俺だけじゃん! もうっやだっ!」
「ごめん、草太。でもな、お前がわけのわからないことを言うから」
「わけわかんないこといってんのはそっちじゃん」
「違うよ、そうじゃなくて」
頬に触れていた真也の手が、今度は草太の背中にまわり、ぎゅっと強く抱きしめられた。
「お前は、正真正銘、俺の息子なんだよ。俺はたしかにゲイだけど、ずっと子どもがほしかったんだ。でもゲイである以上、養子をとるのもなかなか厳しい。親や兄弟にも縁を切られたからよけいに俺は、自分の家族がほしかったんだ。母さんは、……菫さんは、身勝手な俺の願いを叶えてくれた人だったんだ。恩人なんだよ」
そう言うと、真也は立ち上がって、隣の部屋からアルバムを持ってきた。うながされて頁をめくると、そこには初めてみる母の、「菫さん」の写真が貼られていた。菫さんだけではない、まだ赤ちゃんの自分もいる。 菫は名前に似合わず、豪快そうな女の人で、大口をあけて草太をだっこして笑っていた。その隣で、弱々しくでも幸せそうに笑っている真也の姿に、草太のささくれそうだった心がほわんとなる。
「そっか、俺、望まれた子どもだったんだなぁ……」
でも、こんな幸せそうな写真を見たら、どうしても望んでしまう。口にしたら真也が悲しむとわかっていたのに、つい草太は言ってしまった。
「俺も、母さんに、菫さんに会いたかったなぁ〜〜」
しまった。今度こそ、父を泣かせてしまう。
今のは嘘だと言おうとしたのに、真也は悲しむどころか、唇をほころばせた。
「……会えるよ、草太」
「何言ってんの、だって母さんは病気で……」
それでも、真也は笑っている。
にこにこと。
草太の好きな、ひだまりのような笑顔を浮かべている。
「は? 会えるって、え……?」
「菫さんは生きてる。そしてお前さえ望むなら、お前に会いたいって言っている。どうする、草太? 菫さんに、……母さんに会ってみるか」
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