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母親とは、近所のファミレスで会うことになった。平日夜の20時。普段から家族連れが多いが、週の半ばのせいか店内は閑散としている。
行きは真也と一緒だったが、終わったら迎えに来るからと言い残して、先に帰ってしまった。自分がいては話せないこともあるかもと気を遣ったのは明らかだった。
ふぃーっと深く息を吸い込み、吐き出す。
店の奥の窓際の席で、母親を待つ。
なんだか不思議な気持ちだった。十七歳は激動の年になる予感がする。いやもうすでになっているか。
もそもそ体を動かしながら、ガラスに映る自分の姿を見つめる。
真也に似ているところもあれば、似ていないところもある。それは今から会う母に似ている部分なのだろうか。
いったいどんな人なんだろう。
ゲイの真也のために子どもを産んだ人。そして産むだけ産んで去っていった人。
何もどこかに行く必要なんてなかったのに。そう思うのは自分がまだ子どもだからだろうか。複雑な大人の心はまだ理解できないからなのだろうか。
「いらっしゃいませぇ。ご注文はお決まりですか」
「あ、すんません。じゃ、じゃあドリンクバーと……」
「あははは、ちょっとー、真面目に注文しないでくれるー?」
しかし、そこに立っていたのは店員さんではなかった。ジーンズに鮮やかなブルーのチェックのシャツ。ショートカットを赤く染めて、大口で笑う女の人。
草太の心臓が激しく鳴った。
この人だ。間違いない。アルバムの頃と変わらない。この人が自分の。
「久しぶりねぇ、草太。15年ぶり、かな」
「か、母さ……」
「あ。それやめて」
鼻先で、大きく手を広げられた。
「菫さんって呼んでくれる? 私、今更、君の母親ヅラするつもりはないから」
注文は二人ともドリンクバーとミルフィーユだった。草太はコーヒーが苦手なので、コーラーを注いできた。菫にはコーヒーを頼まれたので、それも持ってくる。
「ありがとー。いやー悪いねぇ。かわいい子に淹れてもらったコーヒーはうまそーだ!」
「別にかわいくないし」
ぼそっと呟いて、菫の前に座る。
「あれ。何怒ってんの。もしかして、かわいいって言われたくないの。でもそーいうところがかわいいってわかんないのがかわいいね」
「もー、かわいいかわいいうるさいよ!」
密かに童顔なのを気にしているので、ムッとしてしまう。
なんだろう。
何か調子が狂う。
別に感動の再会を求めていたわけでもないし、今まで放っておいてごめんねと謝って欲しかったわけでもないけど、こんなにもカラッとお気楽にされると何かが違うと思ってしまう。
「えっとあのう、か……菫さん」
まだまだ名前呼びには慣れない。
「んー。なに、草太?」
「その、聞きたいことがあるんだけど」
「そりゃそうよね。うん。何でもいいよ。聞いて聞いて!」
(か、軽っ……)
拍子抜けするようなテンションだ。これは。
「なんか俺の思ってた人とイメージが違うんだけど。菫さんって」
「え? そお? どんなふーに思ってたのよ、怖いわぁ」
ケラケラ笑いながら、ミルフィーユにグサグサフォークを刺している。
「いま、菫さんって、結婚してんの」
「してないよー。ずーっと独身。ちなみに今は姉貴と二人暮らしよん。なに、そんなことが気になるの?」
「いや気になるっていうか」
なら何で家を出ていったんだよ。
喉元まででかけた言葉を飲み込んだ。
真也は、菫を『恩人』と言っていた。恩人を追い出すようなことが、あの父にできるはずがない。
だからきっと菫の方から身を引いたんだと思う。でもそうなると菫の行動には一貫性がなさすぎる。死別ということにして家を出たくせに、突然息子に会いたいなんて、身勝手すぎるように思う。
でも真也は怒ってはいなかった。むしろ真也が菫に会わせたがっていたように思う。
「ふふ、悩んでるわね、青少年」
にたりと、菫が笑った。
「仕方ない。せっかく会いにきてくれたんなら、昔のこと、少し教えちゃおうか」
ミルフィーユを食べきって、コーヒーを一口飲んでから、おもむろに菫が語り出した。
「私と真也くん、親友だったんだよね。お互い恋愛感情は無かったけど、いい友だちだったの。あの子、ずーっと自分がゲイだってこと家族に隠してて、社会人になってからやっとカミングアウトしたんだけど、親御さん許さなくて、縁切られちゃったの。かなりショック受けててね。見てられないくらいぼろぼろになっちゃったの。君に、こんなこと言うのはあれだけど、自殺しちゃうんじゃないかなって思うくらいひどい状態だったの」
そこでもし真也が自ら命をたっていたら、そう思うと草太もゾッとした。
「アタシはもともと結婚するつもりなかったから。親父が厳しすぎてギスギスした家で育ったから家庭なんて絶対持つもんかって思ってたしね。だからアタシのほーから真也に持ちかけたの。アタシでよかったらアンタの家族を産んだあげるよって。普通の真也ならそんな提案受けなかったと思う。でもあの時は、あいつもボロボロだったから、受け入れてくれたんだよね。そんで君が産まれて、真也はびっくりするくらい元気になったの。つまり君が真也を、アタシの親友を救ってくれたの」
だがそのあとは簡単ではなかったという。菫が約束通り、離婚して家を出ようとするのを真也が許さなかったのだ。
君を恋人のように愛することはできない。
でも草太のそばにいてほしい。
真也は最後まで、菫が去るのに反対した。
「しまいにはゲイをやめるとか言い出して。でもそんなのやめようとして、やめられるものじゃないでしょ。でもアタシは、そこまで言ってくれる真也だからこそ、どーしても別れなきゃいけないって思ったの。だってアタシも、友人としては真也のこと好きだったけど、愛してはいなかったし、友だち以上にはなれなかったし、やっぱ自分が家庭を持つってのはどーしても嫌だったの」
それから何度も話し合いが行われ、それでも菫が折れないのがわかると、真也も納得するしかなかった。だが最後に、とんでもない提案をしてきた。
『草太が十七歳になって、分別がつきだした頃に、俺は本当のことを全部、草太に話す。もしそれを聞いて草太が君に会いたいって言ったら、一度だけ、会ってあげてくれないか』
無論、菫はやめておけと言った。波風を立てる必要もないし、何より草太がかわいそうだから、と。
だけど真也はゆずらなかった。
父親が頑固なのは草太も知っている。
菫はついに根負けした。だけど心の底では、真也が草太かわいさにあきらめてくれないかなと思ってはいた。
「でも真也くん、義理がたいやつだし、それに本当は私も君に会いたかったからさ」
そう語る菫の頬が赤い。照れくさそうだった。
母親ヅラしたくないというのも、自分は何もしていないから、という遠慮があってのことなのだろう。初めて会ったのに彼女の心が草太には手にとるようにわかった。
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