本当、の理由

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 俺たちはマシロを病院と警察に連れて行った。心身のケアが急務という事で、即入院になった。  何度目かの見舞いの際に、主治医から話があると俺とエリは呼ばれた。内容は、エリが性的に男性の入院患者を誘うようになっている、ということだった。 「恐ろしいレイプの記憶を打ち消す為に、快楽が肯定的なものだと思い込むことで乱脈な行動に出ることはあり得ます。いえ、性行為自体は肯定的なものですが、彼女はそれを間違って学習してしまった」  まだ若そうだがしっかりとした印象の医師は、言葉を選びながら続けた。 「退院後彼女の生活の世話をするのはどなたですか?」 「僕たちです」  医師は電子カルテの画面から顔をそらし俺たちの顔を見る。 「どなたか、親御さんの年齢に近い方はおられませんか、叔母さんとか」 「僕の母も亡くなっています。義理の叔母はいますが、海外です」  医師は深くため息をついた。 「ナカノさんはいとこでしたね…隣の方は?」 「私は、マツバラエリと言います。彼とお付き合いしています」 「ナカノマシロさんとは?」 「妹みたいに思ってます。小さい頃から知ってますし」 「立ち入った事を伺いますが、お二人のお付き合いは長いですか?」  俺たちの付き合いの長さがマシロの治療に関係があるのだろうか? 戸惑いながら俺は答えた。 「中学生の頃からの付き合いです。彼女になってからはまだ三年ですけど」  電子カルテに打ち込む手が止まり、医師がこちらに向き直った。三十代半ばくらいだろうか。眼鏡の奥の目が強い意思を持ってこちらに向けられた。 「今から言うことを必ず守ってください。……ナカノさん……マシロさんを世話するのは、まだ若いあなた達には大変な重荷になります。それを覚悟してください」 「……はい」  俺は隣に座るエリの手を握った。 「退院後、必ずマシロさんは性的にナカノさんを誘います。これを無くしてから退院させたいですが、残念ながら今の状態では難しい。彼女が本当に愛のある交わりを知らないので、恐怖と共に刷り込まれたものは簡単には書き換わりません。だから、近しい男性のあなたにきっと愛情を求めて縋ります。ですが、決して応じないでください。応じてしまったら、隣の彼女との関係も終わり、マシロさんはずっと治らない。そうなればあなた達の人生も壊されます」  俺に? マシロが迫ってくるだって? 「先生、マシロは生まれた頃から知ってる間柄ですよ? そんなマンガみたいなこと……」  笑いながら言う俺に、医師が強く言葉を被せてきた。 「ナカノさん、あり得るから言ってるんです。私は君たち二人まで滅茶苦茶になる未来は見たくないんですよ」  そして医師はエリにこう言った。 「マツバラさん。二人で支えあって、信じ合って乗り越えてくださいね。マシロさんはあなたに母親を求めてくるでしょう。辛い時もあると思いますが、あなたの今回の対応は適切でした」 「はい……」 「あってはならない事ですが……もし彼がマシロさんとそういう事になったら、私に知らせてください、すぐに。一人で抱えこまないように」  は? 俺がマシロを抱く前提かよ、バカにしてんなこの医者。 「いくらなんでもそんなことしないですよ、言い方ってもんがあるでしょう!」 「ヤスユキ、やめて!」 「誤解しないでください。お二人とも繋いだ手を離さなければいいということです。どうか守ってください、マシロさんも、自分たちも」  今だから、この医師の警告がどれだけ深い意味があったのかがわかる。あの時からしたら、俺とエリの関係は全く違うものになった。俺はマシロをノゾムに任せた今も、それまでのやり方が正しかったとは到底思えない。
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