2人が本棚に入れています
本棚に追加
今回の滞在は小鳥との思い出を懐かしみ葬るためだったというのに本末転倒ではないか。兄を置いて北海道から一足先に成田に戻ったこの二日間、小鳥から聞いたモンゼンテラマチを観光し、翌日はショーユグラを観光した。ショーユも買った。私の小鳥は、異国の地でもショーユさえあればなんでもうまいと焦げた鍋の底をスプーンでさらって笑っていた。学生だった小鳥と似た面影の彼女もまた私の庇護欲を掻き立てた。だが。
「ボンボヤージュ。」
ダウンコートに両手を突っ込んだまま、私は祈るに留めた。土産のボトルショーユが無くなったら小鳥を忘れると今さら決めた私に新たな出会いなどいらないのだ。
「だからー!!りっすんとぅー!聞いて!?日本語!プリーズジャパニーズ!のんふらんせ!あいるびーいんぐらんど!」
混んでいた最終到着便はクリスマス休暇目前だからだろう。窮屈なシートから解放され兄と一息つく。我が家に帰るにはここからさらに列車に乗らなくてはならず先はまだ長いというのに、並んだ入国審査の隣のゲートは一向に進まない。目をやれば騒いでいるのは小鳥によく似た彼女だった。
「兄さん、あの子ちょっとだけ知り合いなんだ。」
片眉をあげた兄が、列車の時間に遅れるなよ、と肯いたことに安堵し、警備員に声をかけ列から外れた。背後から現れた私と警備員に彼女はたじろいだ後、あーっもうーっ!!と声を荒げた。
「無職だからなの?!連行か!?まって、まってー!!電話、あいうぃっしゅ、てる、え?こーる?おっけー?!え、渡すの?スマホを?えトレイにのせる??」
言われるがままに保守すべきアイデンティティをわけもわからず剥がされていく彼女に私は笑ってしまう。不安と警戒の中に他人の善意を否定しきれない育ちの良さまでよく似ていることだ。
審査官に気付かれぬようパスポートに目を走らせ、私は彼女の名を親しげに呼ぶ。首をかしげ私を見上げると、黒い瞳をパチパチと瞬かせ、わぁびじんさん、と場違いに惚けた。ああ、こんな反応まで小鳥と同じだなんて!放っておくなどできるものか!
「落ち着いて、マダム。大丈夫だよ。」
「おぅっ!?やっ、えっ、いえす!いえす!まむ!」
司令官殿かい?と吹き出しゲラゲラ笑う警備員に私も追随しからりと笑う。可愛いだろう?私の小鳥は?と窓口の審査官にウインクし、手間をかけさせて済まなかったねと詫びておく。何が問題だったかな?と入国手続きを促した。日本人への審査は緩く大抵はパスポートを見せるだけだというのに、運の悪いことだ。無職の彼女がチケットを買うところから間違えたことを説明し、翌朝引き返すまでの保証を申し出た。手を引きゲートからエスコートした私に、彼女は、めしあ、とふにゃりと笑いかけた。
最初のコメントを投稿しよう!