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「5日、東京港区で首を絞められた跡のある女性の遺体が見つかりました。警察は一連の婦女暴行殺人の被害者と特徴が似ていることから、捜査範囲を23区に広げるとのことです。では、現場の杉野さん」
朝のニュースを流し見しながら、バタートーストをかじっていると、ピンポンとインターホンが鳴った。朝の7時。男は静かにテレビを消して、玄関の方を見つめる。ピンポン、もう一度インターホンが鳴る。自分の呼吸が聞こえるだけの室内で、鍵の掛かった扉に穴が開くほどの視線を向ける。
シン、と静まる室内。
ドンドンドン。
「虎壱實 さん!警察です。開けてもらえますか?いるのは分かってますよ!」
ドンドンドン。ピンポン。
男は天井を眺め、ため息をつく。玄関向かうのかと思えば、半分ほど残ったパンを食べ始め、傍にあったコーヒーを飲み干すまで立ち上がる事は無かった。
「これ見てみろ。お前が殺したおじいさんだ。お孫さんもいらっしゃってなー、さぞかし無念だと思うぞ。見てみろこの顔。悔しそうだろ?」
眼の前の刑事が机の真ん中辺りにある写真から一枚抜き出して差し出した。
「ほら、近くで見ろ。手にとってよく見てみろ」
腹を何度も突き刺されたのか服が穴だらけになっており、床一面に血溜まりができている。その顔は、刑事が言う通り悔しそうな、恨めしそうな表情だ。もう十分に見えているのだが、刑事の感情を逆なでしてやることも無いだろうと、虎壱實は手錠を嵌められた両手を机に上げ、写真に手を伸ばした。すると刑事は右手に持っていたペンを振り上げ、身体が椅子から浮き上がるほどの力で、ドスンと右手を振り下ろした。
写真を取ろうとした虎壱實の手にはペンを握った刑事の拳が張り付いていて、手を引っ込めようにも動かない。手が動かないことも不思議だが、驚きが勝ちすぎて痛みは全くなかった。
刑事の顔を見ると、薄く笑っており、ごめんごめんと拳を開いた。
「おいおい、ペンを奪おうとするから間違って刺してしまったじゃないか。大丈夫か?」
自分の手を見ると、甲には高そうな万年筆が刺さっており、柄の重みで傾いていた。金属部分が肉に入り込み、柄が傾くことで土を掘る様に傷口が広がり、血が溢れてくる。
「ぐっ」
遅れて来た痛みは猛烈で、傷口に心臓があるのかというほど痛みと共に強く脈打っている感覚。
「大丈夫か?ほら見せてみろ」
刑事が手を差し出すが、虎壱實は触らせまいと手を少しだけ引く。
「おい、ペンに触るなよ?そして落とすなよ?触れば、公務執行妨害、落としたら器物損壊だからな。分かったな?」
「アンタ無茶苦茶だな。そんなもん通るかよ」
刑事は素早くペンを掴み虎壱實の目をまっすぐに見つめながら、ぐりぐりと右手を動かした。
「通るんだよこれが。犯罪者の権利なんか誰が考える?それよりも来週、孫と遊園地に行く予定だったおじいさん、可哀そうだなって思うに決まってるだろう。そして、犯罪者は極刑にでもなって社会から消えてくれないかなって思うに決まってるだろう?なあ?どう思う?」
万年筆の鋭利な先端が深くに入り込み、幅の広い付け根辺りが手の甲の肉を押し広げていく。痛みで叫び出したかったが、このクソ野郎に負けてしまう気がして必死に耐えた。
「止めてくれ」
「何を?」
「ぐっ、これだよ」
「……分かったよ」
すんなりと動きを止めると、躊躇いなくペンを抜いてポケットにあるハンカチで血を拭い始めた。
「DNAも調べるし、早く白状した方がいいぞ?そしたら死刑は免れるかも」
「俺はやってない」
「あっそ」
拭き終えたペンを眺めると、机に転がっていたキャップを嵌めなおし胸ポケットに差し込んだ。
虎壱實は未だに血が流れる左手を机に乗せたまま刑事を睨みつける。全く関係の無い事件で、こんなことをされる筋合いはない。いや、そもそも拷問は憲法で禁止されてるはずなのに、何で当たり前の様にこんなことしてるんだ。
「後で絆創膏持ってきてやるよ。俺は一旦、昼休憩行ってくるわ」
刑事はそう言い残すと、颯爽と廊下へと消えていった。
「くそが」
虎壱實は捨て台詞の様に言葉を吐くが、この後に待っていた名ばかりの尋問で強盗致死事件は見事解決となり、でっち上げられた証拠と共に後日の裁判で死刑を言い渡されるのであった。
ちなみに、こうした警察の悪行は白日の下に晒され、それは同時期に起きていた連続婦女暴行殺人事件に関して、メディアが警察のバッシングを始めたために焦ったからだと結論づけられた。当時の政府を巻き込む大騒動となったのだが、虎壱實が死刑執行後に取り沙汰された為、彼はそれを知る由もなかった。
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