百年に一度だけの奇跡

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 私も本堂の掃除を行うものの、秘仏のおわす厨子は雑巾がけでの清掃をするのみで中を開けることは許されなかった。この八百年の間に解禁日以外に掃除や夜中に人目を盗んでの「出来心」で厨子を開ける住職はいなかったらしい。私が小学生の折に「絶対誰か開けてるでしょ?」と先代の住職である父に冗談交じりに言ってみたところ「そんなことは絶対にない!」と怒鳴られ、丸裸にされた上に計策で尻に百叩きを食らってしまった。話を聞くに、父も同じように疑ったところ、祖父に同じことをされたとのことだった。  私の名前の「解禁」は、代々その秘仏の「御開帳」をなす者である寺の住職に代々付けられるものである。父も「解禁」祖父も「解禁」曽祖父も「解禁」明治の折には男児に恵まれなかったため高祖母が住職になったのだが名前は「解禁」であったと我が家に残る家系図に(しか)と書かれている。 「住職・解禁」になるためには血縁者であることが条件で、男女の拘りはないとされている。鎌倉時代から令和の現在(いま)まで血が途切れずに記録に残っているのは奇跡であるとしか言いようがない。 本来、秘仏を公開することを「御開帳」と呼ぶのだが、私の寺では何故か「解禁」と呼ぶことになっている。なぜかと言われても、鎌倉時代からの決まりだからとしか言いようがない。  百年に一度の解禁ともなれば、一度も秘仏のお姿を見ずに浄土へと召される「住職・解禁」もいる。現に私の父は祖父から住職の座を継ぐ時に「解禁」と法名を改めたのだが、百年に一度の解禁に(タイミング)が合わずに天へと召されている。昭和の始めに生まれた祖父も同様である。 百年に一度と間隔が広いせいか、大半の「解禁」が秘仏の姿を見ずに天に召されているだろう。
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