百年に一度だけの奇跡

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 当然、このようなオカルトの極みのような秘仏に注目しない者がいない訳がない。私の寺は全国的に名が知られているために、秘仏の件も多くの人が知るものとなる。何度かマスコミの取材を受け「解禁日外」に秘仏を見せて貰えないだろうかと交渉されたこともあった。古くからの決まりであるために拒否を示してもマスコミは引かない。テレビ局や新聞社によっては袖の下に「札束」を入れての交渉を行ってくることもあった。こう言った交渉は父の代から始まっており、当然突き返している。このように交渉拒否を続けていると、不逞の輩は出てくるもの。夜の闇に紛れて本堂へと入り込み、厨子の扉を開けようとする者が後を絶たない。美術館が使用するような盗難防止センサーを厨子に取り付けているのだが、月に一回はセンサーが鳴り、寺で雇っている在宅の警備員に捕縛され、住居不法侵入の罪で警察に突き出すことが恒例行事になっている。 素直に謝る輩は被害届を出さずに示談にするのだが、最近は盗っ人猛々しく「秘仏をひた隠しにするお前の寺が悪い」などと宣う輩が増えていて、酷い場合は「我々(国民)は秘仏の姿を知る権利がある」などと、裁判にて「秘仏の解禁」を裁判長に訴える輩もいるぐらいだ。それをいい歳をしたテレビ局員や新聞社の人間が宣う姿は失礼を承知ながらに言わせて貰えば餓鬼畜生としか思えなかった。 裁判長も「宗教的人格権」「文化財保護法」「信仰の自由」の三つを考慮した上で、その訴えを却下し「当該の寺の秘仏は百年に一度の解禁日のみに公開されるものである」と判決を出してくれている。「住職・解禁」である私としてはこの判決を尊重するのだが、一人の人間である「山田三郎」である私としては、秘仏の姿を見るために裁判所からの解禁命令があってほしかったと思うのであった。
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