百年に一度だけの奇跡

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百年に一度だけの奇跡

 私の名は解禁(かいきん)、住職である。 家業が鎌倉時代より続く寺生まれ故に、私は生まれた時より仏門に入ることが定められていた。私の名の解禁も、代々の住職に付けられる法名である。本名は「山田三郎」と極めて平凡だ、住職となると同時に捨てた名前故に未練はない。  私の寺は鎌倉時代より続く歴史があるせいか、全国から参拝客が訪れる程の有名な寺である。檀家も地元の名士を中心に二千件を超え、寺院収入もちょっとした企業ぐらいはあるが、寺や墓の維持費で大半が吹き飛んでしまう。まこと、金と言うものは羽根のように軽いものである。それを知らない者からは田舎の坊主丸儲けと嫌味を言われることも多いが、有名税だと思い気にしないことにしている。  私の寺であるが、本堂には何体もの仏像が安置されている。京都の三十三間堂の仏像群を想像して貰えれば幸いである。いずれも鎌倉時代以前に塑像されたもので、いくつかは国からも重要文化財指定を受けている仏像もある。 その仏像郡であるが、本堂の最奥に座する厨子を守護(まも)るように配置されている。 その厨子の中におわす仏像こそが、私の寺のご本尊様である。  その厨子は、この寺が建立された時よりずっと同じ場所に座している。実に、鎌倉時代から数えて八百年。八百年の間に幾度となく行われた寺の建て替えや、明治の折の廃仏毀釈運動、先の大戦の戦火でも失われずにいるのは奇跡と呼ぶに相応しいだろう。  私は生まれた時より、この本堂に何度も訪れているが、厨子の中におわす仏像を一度たりとも見たことがない。なぜなら「秘仏」だからだ。それも「公開は百年に一度」と定められている故に、百年に一度の解禁日以外は決して厨子を開けることが許されない。  直近に解禁されたのは百年前の大正時代、誰も当時は高級品のカメラを持っておらず、写真撮影がされなかったため、秘仏の姿を確認出来るものは残っていない。寺の檀家の中にも前回の解禁を知るものはいない。私が知る限りではつい最近、百十歳で天に召された檀家のみである。私もその檀家の主人が亡くなる少し前に話を聞きに行ったのだが「あれこそが仏教の『(くう)』の顕現じゃあ!」と言う何とも曖昧な説明しか聞くことが出来なかった。記憶を辿り絵を描いて貰おうとしたのだが、プロの絵描きでもない人間に頭の中でのイメージを絵にすることは難しく、何も描くことが出来ず、秘仏がどのような姿なのかを知ることは出来なかった……
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