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「帰る家があるなら、それはとても恵まれているんだよ。僕は家から捨てられた身でね。家出したからには、君は何か嫌なことがあったんだろう。親や兄弟との衝突だろうか。もしかすると良い家族じゃないのかも知れない。それでもね、自分から家を捨てることないよ」
まさか会って間もない女子中学生にこんな話をするとは。しかも僕が苦手とする道徳じみた話。早くも後悔しそうになった――が、ムツミの反応が僕の意識をぶっ飛ばした。
「ぜーんぜん、わかってくれないじゃん」
ゾッとするほど低音の声。半分ほどしか開かれていなかったその両目が今、見開かれている。そして何より、頭に被ったベレー帽が、触れてもいないのに動き始めたのだ。何だ? 中に何かいるのか? ムツミは微動だにしない。ただベレー帽だけがむくむくと持ち上がって、脱げて、ソファーの後ろに落ちていく。
そして現れたのは一輪の華だった。鮮やかに紅く咲いたそれは椿だ。
「えっ?」
僕は腰を浮かせた。生えている。おかっぱ頭の天辺に、地肌の下から華が生えている。
「私の居場所は此処ではない。捕捉した。此処ではない場所。向かうべき場所を」
俊敏な動きで以て立ち上がるムツミ。身を翻して駆け出す。呼び止める暇もなかった。玄関扉を開け放つと、外へ出て行ってしまった。
呆気に取られる僕だったが、次の瞬間にハッとする。
話には聞いて知っているのだ。実物を目にしたのは初めてだけれど、話としては有名なのだ。
ムツミは咲いていた。あれが華乃幼少帰咲――彼女はその患者だ。
追わないといけない。僕もまた部屋を飛び出す。錠を掛けたいところだけれど、その時間はない。
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