☆彼女が死んだ夜☆

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俺は着なれない喪服を着て、その黒いネクタイを大きく緩めて、ぼんやりと夜の国道を一人車で走っていた。少し開けた窓から冷たい風が車内に流れ込んでくる。 友美が死んだ。 友美が死んじゃった。 それが頭の中で何度も再生される。でも、何度繰り返しても、それを受け入れる事ができない。 だって、つい一週間前まではいつもと変わらずピンピンしてて、いつも通り俺に悪態をついて、誰よりも元気そうで… それなのに急に死んじうなんて… 通夜の後で友美の女友達に、友美は小さい頃からずっと心臓が悪くて、いつ発作を起こしてもおかしくない体で、でもその事は俺に言わないようにと口止めされていたと聞いた。 でもさぁ、言ってくんなきゃ俺だって分かんないし、薬を飲んだり病院に行ったりしてるところ見た事ないし、今思えば俺に見せなかっただけかもしれないけど。 友美と暮らしたこの二ヶ月間、心臓が悪いなんて疑いもしなかったよ俺。 むしろ心臓だけは普通の人より強いほうだと思ってたよ。 煙草をくわえ火を着けて、大きく吸い込んだ煙を吐き出す。煙草を挟んだ指はまだ微かに焼香の香りがするし、煙は通夜の線香を連想させる。 しかし、友美って変な女だったよなぁ… 知り合って一週間もしないうちに俺の部屋に住み込んじゃって、自分の両親には女友達と同居している事になっているみたいで、だから俺は今日友達の一人として出席した訳だが… 二、三日家に帰って着替えなんか持ってくるね、なんて言っちゃって、そのまま家で心臓発作で呆気なく死んじゃうなんて… 一緒に暮らし始めて、まだたったの二ヶ月だぞ。 友美は俺に対してまったく遠慮がなくって、よく俺の事をバカとかマヌケとか鈍感とか言ってたよなぁ。澄ました顔して言いたい放題だったなぁ… 「ほんと、あんたってバカなんだから」とか、 「あんたのそういうところがマヌケだっていうのよ」とか でも、友美は決して本気で言ってる訳じゃなくて、彼女の言うバカとかマヌケは一種の親しみを込めた愛称みたいなもので、だから言われた俺も腹が立ったなんて事は一度もないし、むしろ半分心地よかったりして。 肩だって強くたたかれれば痛いだけだけど、適度にたたかれればマッサージになるみたいな、そんなバカ・マヌケだったよなぁ… そう考えると、俺達ってすごく相性がよかったんだよな、きっと…男と女の相性なんて、多分漫才と一緒なんだと思う。ツッコミとツッコミじゃダメだし、ボケとボケでもうまくいかない。 男と女もやっぱりボケとツッコミが組んだ時に初めてうまく行くんじゃないだろうか。 友美はあきらかにツッコミだから、当然俺がボケって事になるのか? でも、夫婦漫才になる前に友美は死んじゃった。 そんな事を考えていたら、急に涙が溢れて視界が霞んだ。 アパートの部屋に戻ってみると、部屋に電気がついている。 俺、電気消し忘れたかな。もっとも、かなり動揺してたからなぁ… そう思い、鍵を開け中に入り、ドアを後ろ手に閉めた。 あれ? 玄関の真正面の、部屋をひとつ挟んだ奥のキッチンから鼻歌が聞こえる。 キッチンとの境には大きなのれんが下げてあって、中を完全に見通す事はできないが、のれんの下から鼻歌に合わせて軽くステップを踏むような後ろ足が見える。 あの歌、あの声、そしてあのステップは、確かに友美がキッチンで料理を作っている時のそれでしかない! だ、だけど友美は死んだんだし、俺は間違いなく友美の通夜に行ってきての帰りだし… でもあの声、あのステップは… のれんの下の足がくるりとこちらを向いた。そして、のれんの隙間から細い指がスーっと出てきた。 俺は一歩後ろに下がり、ドアに背中をくっつけた格好で身構えた。 のれんがサッと開き、何事もなかったかのようなエプロン姿の友美が平然と現れた。 だが俺は平然って訳にはいかない。 俺の様子を見た友美は、 「あら、どうしたの、その顔?」 と澄まして言う。 俺はといえば、足はガタガタ震え、友美を指さしながら、訳の分からない声を上げるのが精一杯だった。 「う、うわー!うわー!」 「上着は脱いだら掛けといてよね、シワになっちゃうから」 「ゆ、幽…幽…」 「夕食はちょっと待っててね。今作ってるところだから」 「で!…出っ…出っ」 「出前ばっかり取ってる訳にいかないじゃない。たまにはご飯くらい作るわよ、私だって」 「お、オバ…オバ…」 「お馬鹿さんな事ばかり言ってないで、早く顔洗って着替えちゃってよ」 そう言うと、友美はまたキッチンに戻っていった。 俺は玄関で腰を抜かして座り込み、初めて意味のある日本語を発した。 「うわ~幽霊!出た!オバケ~」 そう叫んだのがいけなかったのか、せっかくキッチンに入った友美が、またのれんをかき分けて出てきた。 そして両手を腰にあて、呆れたような顔で俺を見下ろしている。 「ひぇ~!成仏してくれ、俺が悪かったから、謝るから、お願いだから成仏してくれ~」 何も悪い事をした覚えはないが、とにかくここは謝っておいたほうが無難だと、俺は直感的にそう思ったのかもしれない。 「あんた、なんか勘違いしてるんじゃないの?」 おびえきった俺に向かって言う。 えっ?…勘違い???…どういう事? 勘違い?…じゃ、友美は死んでないって事? 友美が死んだって勘違いしてるって、そういう事なのか? 友美は生きている…? い、いやいや、違う違う! 友美が死んだ事は間違いない。だって俺、友美の通夜に行ってきたもん。 間違いなく死んでたもん。 しっかり死んでたもん。 だから今俺の前で偉そうに俺を見下している友美は、幽霊だかお化けだか知らないけど、とにかくまともな状態じゃないはずだし… 俺は思い切って、震える声で聞いてみた。 「と、友美、お前死んだんだぞ。お化けなんだぞ。成仏してくれ~」 「はいはい、分かりました。いつまでも寝ぼけた事言ってないで、さっさと洗面所で顔でも洗ってきなさいよ。」 そう言って洗面所の方を指さす。 「ほら!早く!」 もうウザったいって顔してる。 これ以上逆らうと怒られそうなので、俺は渋々洗面所に向かった。幽霊だけでも怖いのに、それが怒るんだからなお怖い。 なんでお化けに顔洗えなんて命令されなきゃいけないんだ。 そう思いながら洗面所まで行き、俺は鏡の前に立った。 うっぎゃ~ 俺は鏡にうつった自分の顔を見て、悲鳴を上げていた。 顔全体が血だらけで、しかも頭の右半分が潰れたようになくなっている。 俺はここでも腰を抜かし、四つん這いになって友美のいるキッチンまで、慌てふためいて戻った。 「と、友美~!た、助けてくれ~!顔が血だらけで、俺のあ…頭が、頭が半分なくなってるぅ~」 なんで俺、お化けに助け求めてんだ。 「だから顔洗ってこいっていったでしょ、血だらけだもん」 「だって、頭が…頭が…」 「半分ないんでしょ。見りゃ分かるわよ。だからあんたがこの部屋に入ってきた時、どうしたのその顔?って聞いたじゃない。なのにあんたったら何も答えずに、ただ訳の分からない事ばっかり言って…」 そこまで言って、友美は言葉を切った。 何かひらめいたらしい。 「ははぁ、分かったわ。だから話が噛み合わなかったのね。なるほどね。」 一人納得している。 「なーんか勘違いしているんじゃないかと思ってたんだけど。そういう事だったのね。まったく、あんたって本当に鈍感なんだから。呆れ返っちゃうわ」 「何が分かったんだよ。俺の頭、どうなっちゃったんだよ」 「あんたね、よーく思い出してみなさいよ。あんた、ここに帰ってくる途中で事故起こしたでしょ」 「事故?馬鹿言うなよ。俺は事故なんか…」 「いいえ。あんたのその様子は間違いなく事故よ。ほら、右のほっぺたにタイヤの跡もあるし。落ち着いて、よ~く考えてみなさい。って言っても頭が半分ないから、考えがまとまるかどうか知らないけど。」 事故? …ここに帰る途中で…まさか、そんな事あるわけ… あれ?ちょっと待てよ。 確か俺、ぼーっと車運転してて、それで友美が死んだ事ばかり考えてて、ふいに涙が出てきて、それでその涙を手で拭って、顔を上げたら…えーっと、顔を上げたら… そうだ!顔を上げたらトラックのヘッドライトが… 「どうやら思い出したらしいわね。だからあんたは鈍感の日本代表だっていうのよ」 俺はオリンピック候補か。 「だってそうでしょ。自分が死んだ事にも気が付かないんだもん。しっかりしてよね。」 えっ?俺が…死んだ?…車の事故で…俺が死んだ? 何言ってんだよ。そんな馬鹿な事あるかよ。だって俺ピンピンしてるじゃん。 全然元気じゃん。 どこにも異常ないじゃん。 …頭を除けば。 「俺が死んだって、なに訳の分からない事言ってんだよ」 「あのねぇ、頭が半分無いのに、まだ疑ってんの?それじゃ手で触ってみなさいよ。ほら!右側のこめかみから上半分がスッポリ無いでしょ。」 俺は恐る恐る手で頭の右側を触ってみた。 …無い!確かに無い!手に何も触らない。 念のため、もうちょっと奥まで手を入れてみた。 あっ!脳みそ触っちゃった。 「ねっ、これで分かったでしょ。あんたは、死・ん・だ・の!」 俺、死んじゃったんだ。 俺、死んじゃった。 全然気が付かなかったよ、死んだの。うっかりしてたなぁ。 気が付かないうちに、死んじゃったんだ。 自分が死んだ。そう自覚したとたん、なんだか寂しいような、つまんないような、そんな気持ちがわいてきた。 「あんた、自分が死んだの棚に上げて、私の事お化けだとか、成仏しろとか言って。おかしいなぁ、とは思ったんだけど。でもまさか自分が死んだのに気が付かなかったとはねぇ。あんたにしか出来ないボケよねぇ。見事だわ!」 友美は変な感心をしている。 俺はすっかり落ち込んでいじけていた。 ちぇっ、俺死んじゃったんだ。 「あんた、なに情けない顔してるのよ。情けないのはこっちよ。あーぁ、ヤダなぁ。今頃私の友達なんか、私があんたを死の道連れにしたとか噂してると思うよ。あんたがおっちょこちょいで勝手に事故起こしただけなのに、きっと私悪者にされてると思うよ。本当ヤダなぁ、もう。」 「俺、事故で死んだんだ。」 「そうよ。」 「タイヤで頭踏まれて」 「そうよ、グチャっとね。」 「それで俺、魂だけになってこの部屋に帰ってきたんだ。」 「そうよ。」 …そうか、俺、魂だけになって自分の部屋に帰ってきたんだ。自分の部屋に… あれ? 「友美、ちょっと聞いていいか?」 「なぁに?」 「俺、魂になって自分の部屋に帰ってきたよな。」 「そうよ。」 「それじゃ、なんでお前は自分の家に帰らないで、この部屋に化けて出てきたんだ?俺の部屋に…?」ちょっとした素朴な疑問ってやつだったんだが、その時の友美の態度に俺はびっくりした。この部屋で友美の幽霊を見た時よりもびっくりした。 なんとあの言いたい放題の友美が急に下を向いて、モジモジしてるじゃないか! 信じられない事に、友美がはにかんでいるのだ。 そして、上目遣いでチラッと俺を見て、恥ずかしそうに小声でこう言った。 「だからあんたは鈍感の世界ベビー級チャンピオンだっていうのよ。」 そっかー! こいつ死んでも俺と暮らしたかったのか。 だから自分の家に帰らずに、俺の部屋に化けて出てきたのか。 俺は自分が死んだのも忘れてニヤニヤしてしまった。 そっかー!俺達二人共死んじゃったけど、でも友美が俺の事をそんなに思ってくれてるんなら、ずっと二人でこの部屋で生きていくのも悪くないか。 俺達死んだのに、生きていくっていうのは、ちょっと変か。 俺もなんだか少し照れて、頭を掻こうとしたが、頭が無かった。          MADE IN MIE 2009
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