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制服に着替えたあまねが居間に現れた。片手には文庫本。早朝でもばっちり目が覚めている様子だ。これから自分で朝食をつくって食べて、余裕たっぷりで登校するのだろう。
「うわ。またそんな朝食? 少なすぎだよ」
溜息まで吐いて、まるで母親みたいなことを云ってきた。
「そうか? 今日は多い方のつもりなんだが」
「痩せてるんだから、もっと食べないと!」
「贅沢は敵だ」
「戦時中みたいなことを云うんだねえ」
「贅沢する連中はつまり、幸福になろうとしているってことじゃないか」
「んー。来須さんは幸福になりたくないの?」
「幸福は、不幸に向かう準備段階だよ。幸福があるから、相対的に不幸な状態が生まれる」
「光があれば影ができるのと同じだねえ」
「幸福で居続けることは難しい。まず不可能と云っていいな。そして不幸に落ちたなら、そこから這い上がろうとするだろ? この浮き沈みを繰り返すか、不幸に沈んだまま力尽きるか。幸福追求型の生き方には二種類しかない。そんなのは疲れるだけだ」
「だけど来須さんこそ、いつも疲れてるじゃん」
「そりゃあ肉体は疲労するけど、心理的にはニュートラルな状態を保ってるんだよ」
朝からお喋りしてもいられない。空になったビスケットの袋とヨーグルトの容器を持って立ち上がる。あまねは「もう行っちゃうの?」と、非難するみたいに訊ねてくる。
「お前の生活費も稼がないといけないのでね」
「それはそれは。ありがとうございますう」
キッチンに移動した俺はゴミを捨てて歯磨きを始めるが、あまねの質問は止まない。
「ねえねえ、来須さんは誰かと結婚しないの? お嫁さんが来たらあまねを追い出す?」
何の心配をしているんだか。歯磨きを終えて口をゆすいでキッチンを出ながら答える。
「しないよ。あれこそ俺には、不幸に向かって突き進んでいるようにしか見えない。『幸せになろう』なんて云って馬鹿みたいだな」
「あはははっ。たしかにそうだね? あははははははっ」
変なツボに入ったらしいあまねが笑い続けているなか、俺は鞄を持って玄関へ。
「行ってらっしゃい、来須さん。あははははははははっ」
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