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 足元に捨てられた、誰のものかも分からない煙草の吸い殻が目に留まる。それを踏み(にじ)りながら、ふとこの停留所の数百メートル手前に、川幅の大きな川があったことを思い出す。薄墨の中はっきりとは見えなかったが、そこそこ高さがあるように思えた。  あそこなら――。  そう思った途端、我にもなく口角が上がる。うん、悪くない。――なんだ、案外簡単だ。  僕は踵を返し、バスに揺られながら来た道をゆっくりと戻り始めた。緩やかな勾配が続く道を辿りながら、等間隔に設置された街灯の数を数えていく。  一、ニ、三……  そうやって十数個以上数え終えたところで、目的の場所に辿り着くと、よくある石造の欄干(らんかん)が目に入った。近づくと「桜川(さくらがわ)橋」と橋の名前が彫られているのが分かる。僕は橋の中央付近まで歩み寄ると、そこで一旦立ち止まり、ぐるりと辺りを見渡した。  住宅街に続く道のせいか、大通りと比べて車通りは少なく、時折車両が僕を追い越していく程度だ。歩道にも歩行者の姿は見当たらない。  ここならば、誰にも見つかることなく逝けるだろう。僕はそう確信すると、その静穏さに自然と引き寄せられるように、欄干の隙間から覗く川面を見下ろした。街灯に薄らと照らされた流水が、キラキラと控えめに輝いているのが見える。
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