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「朔、次出番だって」
「……分かってる」
いつものように、本番開始ギリギリまでギターのチューニングをする。手に馴染んだ感覚を確かめるように、最後の一音まで弦を押さえると、僕は扉の前に立つ声の主を見た。
開け放たれた扉の向こう側から、大きな歓声と足元から伝わる重低音が響く。
「ほら、アイツらもう円陣組み始めてるよ」
扉の後ろを振り返りながら、そう急かすバンドメンバーに「せっかちだなぁ」と苦笑する。
僕はギターを抱えたまま、座っていた控え室の椅子から立ち上がると、傍らに置いていたイヤモニを耳に取り付けた。……その際に、右腕がギターのネック部分にカンッと触れる。所々小さな傷が入ったそれを、僕は未だに修理することが出来ずにいた。
懐かしさの中にある痛みにも似た記憶を、新しい何かに塗り替えてしまうのが怖かったからだ。今はもう、思い出すことでしか叶わない、このギターのかつての持ち主に想いを馳せながら、深く息を吐いた。イヤモニの向こう側から「朔」ともう一度名前を呼ばれる。
「今行く」
そう返事をして、夢から体を引き剥がすような心地で控え室を後にした。
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