ナツメといた夏

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 馬鹿高い進学校の学費は父さんの残してくれた生命保険で何とかまかなえたが、心を病んで働けない母さんを抱えて途方に暮れた。  それでも母さんはその学校をやめることを許さず、我が家は食費にも困るようになっていった。  小学生の頃はどちらかというとがっしりしていた体は見る影もなく、級友たちをひどく心配させたが、それさえもどうでもよくなっていた。  中高一貫校のため受験もなく高校生になった僕は、特別に許可をもらいアルバイトができるようになった。  食事は元に戻ったが余裕はなく、我が家を立て直す方法は良い大学に進学し高収入を得るしかないと思い込み、寝る間も惜しんでがむしゃらに勉強した。  成績が下がるとアルバイトの許可が取り消されるので必死だった。  自分で自分を追い詰めて、限界はもうそこまで来ていたのだ。
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