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母は突然いなくなった
家に帰ると母親が笑顔で迎えてくれる。
美味しいご飯を用意してくれて、一緒にお風呂に入ってくれて、寝る前に絵本を読んでくれて、優しく寝かしつけてくれる。
私が四歳、弟が二歳でその当たり前の幸せが奪われてしまい、知らない人だらけの養護施設に引き取られた。
母は容姿端麗、運動神経抜群の筋肉モリモリウーマンなのだが、喘息で肺が弱く、ストレスには更に弱かった。
離婚をし、私と弟を引き取って誰からの助けも借りずに働き詰めた結果、体を壊して子供を育てるどころの話ではなくなってしまったらしい。弟が病弱で頻繁に入退院を繰り返したので仕事を辞めさせられてしまい、児童相談所の介入で遠く離れた場所の施設に入れられてしまった。
私たち姉弟は、毎日身を寄せ合って寂しさに耐えた。
明日には母が来てくれるかもしれない。明日来なかったら、明後日…。
「大丈夫。ママは絶対迎えに来てくれるよ!」
泣きじゃくってしまった弟の小さな背中を、小さな私の手で撫でていた覚えがある。小さな胸が恋しさと悲しみで張り裂けてしまいそうだった。
弟と私、お互いの存在だけが、寂しさを癒した。
そこから一年、本当に辛抱強く待った。母はとても顔色が良くなり、満面の笑みで迎えに来てくれた。私と弟は歓声を上げながら母の胸に飛び込む。
ふと、その後ろに立っている男性が気になった。
「二人とも、この人が新しいパパよ。仲良く暮らそうね」
戸惑う弟を尻目に、
(この人と仲良くしないと、良い子にしてないとまたここに戻されちゃう……それだけはいや!)
と思った私は、
「よろしくね、パパ!」
とニッコリ笑ってみせた。生まれて初めての他人を気遣った笑顔だ。
パパ、と呼ばれた男性は照れくさそうに笑った後に、私に肩車をしてくれた。
楽しいはずの肩車は、胃の底がヒンヤリして落ち着かなかった。
弟は反抗的な態度だったが、私がとりなしてしばらくは平穏な日々が続いた。父も、母の連れ子との慣れない生活でイライラしていただろうが、本当に良く面倒を見てくれたと思う。
それほど母と一緒にいたいと、父も思って努力してくれていた。
ある日、母と父が喧嘩して、母が雨の中傘も刺さずに出ていってしまった。
「ほっとけ。こんな田舎でどこにも行くところなんてないだろ」
そう言い捨てる父を尻目に、私と弟は母の後を追って走った。
雑木林の中でぐしょ濡れの母に、「おうちにかえろう」「いっしょにパパにあやまってあげるから」「かぜひいちゃうよ」「お気に入りのトーマス、あげるから」と二人で説得するが、
「もういや……、死にたい……」
と母が呟いた。
ものすごくショックだった。
人が「死にたい」なんて言うところを初めて見たし、母親が死んでしまうというのは子供には抱え込めないほどの恐怖だった。
ママが死んじゃう!と父に叫んだら、父はようやく母のもとへ向かった。何か話した後戻ってきたので、なんとか仲直りしたのだろう。
七歳で母親が死ぬかもしれないという恐怖を味わい、何が何でも守らなければ、と誓った。
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