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12月14日
岸和田悟といえば、今飛ぶ鳥落とす勢いの若手俳優である。
クールな王子様を演じた恋愛映画でヒットしたが、最新作で見せた猟奇的な殺人犯役で演技派の評価を欲しいままにした。
一方私生活はミステリアスで、バラエティ番組の経験も浅い。番宣で出た動物番組では無言でうさぎを撫で続け、食リポも「...おいしいです」の一言。愛想がないとか不思議ちゃんとか、ファンとアンチで綱引きをしている状況だ。
ほんとは、こんなにわかりやすいのにな。
足を組み、頬杖をついて眺めるのは、プールに飛び込むシロクマではなく恋人の背中だ。
かれこれ1時間弱、シロクマから離れずにいる。
めったにないオフがせっかく重なったのだから、もっとマシな使い方はないのかと思う。それでも毎度彼の希望に合わせて動物園をリサーチし、ホッキョクグマの前で時間を潰している。
ああ、惚れてるんだな。
鼻で笑うと、マスクのせいか眼鏡が曇る。外してレンズを拭いていると、数メートル先でひとりの女の子が目を丸くして立っていた。
やっべ。気付かれたか。
咄嗟にマスクの前に左手人差し指を立て、右目を閉じた。頬を真っ赤に染めた女の子が人混みに消えていくのを確認して、眼鏡をかけ直す。
疲れた。
重い腰を上げて、ホッキョクグマの展示を後にする。
念のため居場所を連絡しておこうとスマホを開けると、手元に影ができた。
「せんぱい」
「おっ、満足したか」
黒のキャップに、薄いオレンジのサングラス。最低限のカモフラージュがあれば、動物に夢中の人々が彼の正体に気付くことはない。
「勝手にいなくならないでくださいって言ったでしょ」
「今連絡しようと思ってたんだよ。次どこいく?」
「シロクマさんには会えたので、どこでもいいです」
これだよ。
動物園、それもシロクマにしか興味の無い男。
これがかの岸和田悟なんて知ったときには、世間どころか業界人もすっ飛ぶだろう。現に、彼の領域に初上陸した自分がそうだった。
「うさぎさんの相手もしてやんなさいよ。あの番組で、マネージャーがあまりの気まずさに胃をやったらしいからな」
「せんぱいと行けばうまくやれる気がします。行きましょう」
「今日はムリだって。ペンギンくらいまでにしとこう」
家族連れの中で、変装風情の男2人がうさぎと触れ合うのだ。シュールすぎないか。
手を繋ぐこともなければ、地図を共有することもない、動物園デート。
どんなに色気がなくとも、俳優・阿達一仁には充実したオフなのだ。
阿達一仁といえば、押しも押されぬ人気俳優である。
子役時代には美少年っぷりでお茶の間を骨抜きにしたが、変声期を理由に一時休養。復帰後は二枚目以外にも女装家や粘着質なストーカーなど挑戦的な役をこなし、「クレジットだけでは役柄が読めない俳優」。
「バラエティーは子供の時に出尽くした」ので、主演でも番宣はしないことで有名。
事務所の後輩・岸和田とは(演技に集中できないので)共演NGを出しており、2人の不仲は公然の事実とされている。
南極の日
※シロクマがいるのは北極です
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