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「――おれだって靴なんか舐められたくねえよ」ぬ、と影が落ちる。糸原だ。長身の糸原の影が海遊に降りかかる。「……なんだ。ふたりして深刻な顔して話してっからなにかと思えば。おれの靴がどうしたって?」
なんでこのタイミングで現れるのだ。歯がゆい思いがする。連日打ち合わせまみれで離席率が高いくせして。「いえ本当。なんでもないです。……わたしは帳票の承認があるので。業務に戻ります」――ああ。
こうして、いつも、糸原を閉ざしてしまう。悪いことをしているような気分。いや、実際そうなのだ。――なので。
糸原への罪悪に駆られていた海遊は、その日、派遣さんの退職で送別会が行われるのをすっかり、忘れ去っていた。あやうく定時で帰るところだった。引き留めたのはほかならぬ、神尾だ。彼はこのチームで一番の若手なので、飲み会歓送迎会諸々の幹事役を引き受けている。「……鷺沼さーん。石狩鍋が、逃げるっすよ」
なんのことを言われたのか一瞬分からなかったが。それが神尾のやり方なのだ。分かりやすくて――分かりにくい。
* * *
「ありがとうございました。本当に……、お世話になりました」
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