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天界で神様の世話をするのに飽き、昔からの夢だったアイドルを目指して地上に降りてきた堕天使。
背中には黒い羽を生やした正統派黒髪美少女で、身長155センチ、体重44キロ……というのが真白ナオ(ましろなお)19歳の設定だ。
カーテンを閉め切った暗い部屋の中、パソコンモニターの向こうで笑顔を振りまく3Dモデリング(二次元の女)は、こちらの動きと喋りに合わせて動き出す。
「みんな~おはこんナオ~。地上に降りた堕天使、正統派黒髪美少女アイドルのナオだよ~」
精一杯甘えた声で、マイクに向かって声を吹き込む。上半身の動きをパソコンにとりつけた専用のカメラを通してモーションキャプチャーが読み取り、モニターの向こうの直は現実世界で手を振るこちらとリンクしてバーチャル世界の画面の向こうの豚(オタク)共に手を振った。
『おはこんナオ~』
『今日もかわいい~~~』
『きtああああああ~~』
モニター上にコメントが幾多も流れてくる。
その中に<かねつぐ:\5000>というスーパーチャット、いわゆる投げ銭も入っていた。
「うふふ、ありがと~! かねつぐさんもスパチャありがとね~うふふ!」
思いっきり愛想笑いで、謝意を述べる。
名前を呼んでもらうためだけに5000円とか出してんじゃねーよ。もっと貯金するとか、美味しいもの食べに行くとかしろよ暇か!!
心の中で思うことと、バーチャル世界のキャラクターの発言は一致しないが、きっと世のVチューバ―の中の人達も多かれ少なかれ本音と建て前を使い分けているはずだ。
少なくとも、真白ナオの中の人である海原小夜(うみはらさよ)19歳と87ヵ月ちょっと、身長155センチ、体重44キロ(一月前計測)は思ってていた。
「それじゃあ、今日は歌ってみよう枠だったね! 最初は喉の調子も整えないとだから~。あんまり激しくない曲からいくよ~!」
防音室に小夜の歌声が反響し、パソコンモニターの向こうの黒い羽を生やした黒髪の美少女が小夜の体の動きと連動して歌い出す。
「~~♪ ~~♪」
『いつもどおりの癒しボイスだぁ』
『歌手目指さないの?』
<キキ:\3000 お歌代です!>
『もっと聞きたい』
流れるコメントを横目に熱唱した小夜は、カメラに向けて両手を振った。
「みんな聞いてくれてありがと~! キキさんスパチャありがと~! それじゃ、今日はここらへんでお開きだよ~。次回はレースゲーム実況をするから、よっろしくね~!! またナオ~~!」
モニター上の二次元の美少女も小夜と同じ動きでばいばーいと手を振った。
小夜が作成した自前のEDが流れ、小夜はモーションを感知する専用のカメラの電源と、マイク、パソコンの電源を落とした。
「…………はぁ~~」
ゲーミングチェアにどっと背中を預けて、年よりくさい溜息を吐いて天井をぼーっと眺める。
設定に忠実に真白ナオを演じ始めて早2年。
最初は登録者数一桁だった小夜の配信も、今や30万人を超える大台に乗った。Vチューバ―<真白ナオ>に転身した当初、防音室やカメラにマイク、3Dモデルの依頼料で借金まみれだったことも……今やいい思い出だ。
「これもそれも豚共のおかげか……」
小夜はしみじみ呟く。
オタクの力おそるべし。
顔出し時代どんなにうまく歌っても視聴者がつかなかった小夜だからこそ実感していることだった。
ぐぅううう……。
腹の虫が騒ぎ出した。
壁掛け時計に目を向けると、もうすぐ深夜1時を回ろうとしている。
「夕食まだだったわ」
小夜は台所にカップラーメンを作りに席を立った。
台所でお湯を沸かして、戸棚の奥から備蓄してあるカップ麺を取り出す。
「あった、これこれ」
空調の効いた部屋の中だとあまり実感はわかないが、夏はお盆の時期も含めて登録者を増やす絶好のチャンスだ。深夜の配信は妙にお腹が空くことが多く、そのたびにコンビニに行っていろいろ買うと食費がかかって仕方がない。
でも、普通のカップ麺では二つほど食べないと満足できない。だから、小夜は最近デカ盛りタイプのカップ麺を食べることにしていた。これが一番コスパと腹持ちが良いのだ。
「時間があったら焼肉とか食べたいけど我慢我慢……あ、背油足しちゃお。バターとコーンもトッピングして」
5分後、小夜はおいしそうにデカ盛りカップ麺をすすった。
数日後……。
『今日も最高おおお!』
『ナオちゃん次は音ゲーやって~』
『ゲーム上手』
「えへへ、ほめてくれてありがとね! リクエストは随時募集中だよ~! それじゃあまたナオ~!」
満足げなコメント欄を確認してから、ゲーム配信を終えた小夜はいつも通り機器の電源を落とした。今日は先に夕飯を済ませたので、あとはお風呂に入って寝るだけだ。
「久しぶりに早寝できそう……」
湯銭に浸かって、疲れた目をほぐしながらつぶやく。
お風呂を管理するモニターには22時30分と現在時刻が表示されている。
しばらく浸かって、そろそろ出ようと洗い場に出た小夜は、湯気で曇る鏡に映った自分の下腹部に目を向けた。
「……ん?」
ちょっと、ぷにってる気が……?
「はは、いやいや、だって私歌のレッスンとかダンスレッスンだって……ふふっ」
バカバカしいと脱衣所に出た小夜は、体を拭いて、バスタオルを体に巻いて、半笑いで、体重計にそっと足を乗せようとしていた。
「はっ!? 何故私は体重計に足を??」
体重計をじっと見下ろす小夜。
バスタオル越しにお腹を撫でて、
「…………」
思うところがあるのか、そっと体重計に足を乗せた。
体重計がピッとデジタルチックな音を立てて、小夜の重さを計測中。
ピッ!
「……3キロ増えてる」
ショックのあまりふらついて壁に手を当てる。
何故、なんで太ったの? このお腹のぷにぷにはそういう……でも、何故……何が悪かったの?
しばらく考えてせっかくあったまった体が冷えてしまった小夜だが、諸悪の根源である深夜のデカ盛りラーメンのことは一切頭によぎらない。悪いと思っていなかった。
「……とりあえず、運動量を増やそうかな」
次の日から小夜はダンスと歌のレッスンを倍にするのだった。
「み、ぜえぜえ、みんなー! ぜひゅー、こんナオ~! こひゅ~、はひゅ~……」
『こんナ……え? ナオ……ちゃん?』
『死にかけのセミみたいな声だ』
『草』
『暗黒面に堕ちてそう』
『可愛いナオちゃんを返せ!!』
うるせえ、その可愛いナオちゃんの設定守るためにこっちはダイエットしてんだよ豚共が! と叫べば登録者は減るし、そもそも息が整わなくてマイクに叫べない。
正統派黒髪美少女のイメージが若干崩れたことで、ざわつくコメント欄。
見よ! これがスケジュール管理を怠って、歌と踊りのレッスンを配信直前までいれた哀れな配信者の末路だ。
自虐的に思いながら小夜は整わない呼吸と、汗だくの運動着のまま、配信に臨む。
「さ、最初の一曲目はぁ……」
翌週、過度な運動は危険だと(主に真白ナオのイメージ的に)判断した小夜は無難に食事制限をすることにした。
「おなか減ったぁ……焼肉とか食べたいぃ」
小夜はここ数日まともにご飯を食べていないのだった。
「こういう時、大手の事務所だとマネージャーがいてスケジュールのついでにご飯の管理とかもしてくれるのかなぁ……」
大手の事務所に過度な期待を抱く小夜は、残念ながら昔も今も個人勢。
空きっ腹のまま、小夜は今日も今日とてカーテンを閉め切った暗い防音室にこもっている。
配信予定の対戦格闘ゲームの練習をしつつ、機材のチェックや、PCモニター向こう側のもう一人の自分だと言っても過言ではないナオの3Dモデルの動きもチェックする。
待機所と言われる配信前の画面には既に待機してくれている視聴者がコメントを適当に呟いていた。
『この前のナオちゃんもよかった』
『わかる』
『でも俺は正統派黒髪美少女のナオちゃんを愛してる』
『ワカル』
『そんなことよりトランプしない?』
『ひとりでやってろ』
時間はあっという間に過ぎ、19時00分。配信開始。
「こんナオ~! 皆~元気かな? ナオはすっごく元気で」
ぐううううう!
『こんナオ~』
『こんナ……は?』
『は?』『は??』
『草』『すごい音だ』
『化け物のうなり声か?』
『ナオちゃんのお腹の音だよ』
『幻滅しましたいいぞもっと鳴らせ』
『可愛すぎか?』
無数の可愛いコメントで埋め尽くされたコメント欄。
小夜はお腹を押さえて顔を真っ赤にした。
パソコンに取り付けられた専用カメラが小夜の動きを読み取り、ナオに反映し、そのしぐさに彼らは更に盛り上がる。
『可愛い』『かわいい』『かわあああいいいいい!』『がわいいいい!!!!』
うるせえ豚共が! わめくな! やめろかわいいって言うなぁ!!
もしモーションカメラが中の人の赤面まで読み取るほど高性能だったら小夜は恥ずかしさからもうしばらく喋ることができなかっただろう。
バーチャル世界のナオの表情が変わらない笑顔のままだったおかげで、現実世界の小夜はどうにか取り繕って、真白ナオの仮面をかぶる。
「ふふっ、皆可愛いっていうコメントありがと! でもナオはアイドル目指してるんだから可愛くて当たり前だぞ?」
言いながらも、再び音を鳴らそうとする腹を小夜はどすどす殴った。
ダメだ鳴るな。これ以上鳴って豚共のおもちゃにされてたまるか。それにナオのイメージを損なったらこの豚共は『幻滅しましたファン辞めます』とか『やっぱ大手なんだよな~』とかコメントを残してさっていくんだきっと。
小夜は空腹を唇を噛んでいさめる。
「さて、それじゃあ気を取り直して……」
ぐう……。
なまじっか高性能なマイクを買ったせいで、その小さな音は視聴者にしっかり届いた。
『かわいい』
『腹ペコキャラか~』
『新たな一面』
コメント欄は止まらない。
「ちょっ、み、みんな~? な、なに言ってんのかな? わたし、お腹すいてなんか……」
ぐううう!
『お腹、すいてるんですね』
『ちゃんと食べてる?』
『草』
「…………」
小夜は今度こそ沈黙し、これ以上ごまかしようがないのでうなずいた。
「はい……すいてます」
私の話を聞けこの豚どもめぇえええ! と、内心煮えくり返っていたが、過熱したコメント欄は止めようがないことを小夜は他の配信者さんの炎上とかそういう動画で知っていた。無視をすれば最悪炎上することもある。
『素直でよろしい』
『どうしてお腹空いてるの?』
『ダイエット?』
『ナオちゃん食べなきゃだめだよ』
『いっぱい食べて元気に配信して』
「だ、だって、皆私が太ったら離れてっちゃうでしょ? だからダイエットしなくちゃって……」
アイドルを目指す真白ナオとしても、配信者の海原小夜としても、リスナーは大事なファンだ。
心の中でどんなに豚どもとさげすんでいようと、小夜は彼らのおかげでナオとしていられることに感謝していた。……故に不安なのだ。ファンの期待通りを演じなければどうなるかわからない。
制止するPCモニターの中のナオ。
現実の防音室の暗がりにいる小夜も悪さをした子供のように動かなかった。
コメント欄が一瞬静まり返って、再び流れ出した。
『少しくらい太ってた方が魅力的だが?』
『むしろナオちゃんの比率があがって得』
『過度なダイエットは体に毒』
『ナオちゃんがどんなに太っても俺達は推し続けるで』
小夜はコメントを見て、目を見開いた。
この豚共……いや、私のファンめっちゃ優しいんだけど……。
いつの間にか小夜の頬には涙が。気づいて拭う動作を、モーションカメラが捉え、鼻声が高品質なマイクからバーチャルの世界に反映される。
「みんなごめんね。豚はわたしの方だった……」
『ナオちゃん』
『泣かないで』
『豚?』
『ブヒいいいいい!』
『お前だったのか』
リスナーは相変わらずだったが、敢えてふざけてくれているように小夜には見えた。
ぐうううう……。
安心したからか、泣いて体力を使ったからか、三度鳴った腹の虫。
『なんか食べてもろて』
『正統派黒髪美少女がはらぺこキャラって……いいよね』
『ピザ』
『スパゲッティ』
『親子丼は?』
『牛丼だろ』
『俺大盛り』
『ナオちゃんは今何食べたい?』
「私は……」
温かいコメント欄に、小夜は笑顔を浮かべた。
配信の枠を変更して、21時00分。
小夜は、防音室に一人焼肉の鉄板と、近くのスーパーで買ったロースやカルビなどの肉を机に所狭しと並べた。お料理配信用の熱に強い専用カメラを設置し、PCと連動して準備OK。
「ダイエット中止記念のバーチャル焼肉を解禁します!」
実際(小夜)の顔が映らないように、金属類への反射を配慮しての防音室焼肉パーティー。一ヵ月は匂いが落ちないことを覚悟しての決行だった。
コメント欄がすごい速さで流れていく。
『唐突な飯テロが始まる!』
『やめろおおおお!』
『負けた、牛丼食ってきます』
『まだ始まってねーよ草』
もはやお祭り状態だった。
小夜は一枚目にタンを選んでトングで鉄板に乗せる。
じゅうう! という良い音を高性能マイクが拾った。
『ぐああああ!?』
『飯テロだぁあああ!』
『ひい!』
『まだ焼肉屋さんって開いてるかな……』
『21時30分』
『ぎりぎり駆け込めば行ける……か?』
焼き上がったタンを、箸で拾い、塩だれにつけてごはんでパクリ……。
「美味しいいいい」
小夜は歓喜の声を上げた。
久しぶりの白米に体が喜ぶ。
無意識に足をばたつかせ、机を蹴り上げてしまい、せっかく設置した熱に強いお料理配信用カメラが落ちる。
「あっ……」
カメラの映像が鉄板の上の肉から、床から見上げるように小夜を映し出した。勿論連動しているPCにそれは反映される。
『え?』
『なんだこの女』
『あ……』
『まさかナオちゃんの中の人なのか?』
『ぽっちゃ……』
『うそだうそだうそだ』
『放送事故きtああ!』
『うわああああああ!』
『俺が恋したのはナオちゃんで中の人ではなななな』
『Vチューバ―ってこんなもんよね』
『やせてもろて』
『幻滅しましたファン辞めます』
すごい速さで流れていくモニター上のコメント。
29万、28万……登録者数が目に見えて減っていく。
小夜は茶碗を置いて画面を指さし、涙目で叫んだ。
「嘘つきいいい! やっぱりファン辞めるじゃんこの豚共!!」
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