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佐転 一斉は自分を殺した。
齢十九にしてこの日、渓谷の橋から身を投げて死んだ。
所詮スジ者の犬として生きていた日陰者だ。自害せずとも何れ早死にしていただろう。
一斉は頭が悪い。
幼い頃からまともに学校に行っていなかったのだから仕方がない。
浅黒い肌と短く刈り上げた黒髪。無気力そうな双眸と目尻に傷。イカつい無表情がのっかる体はすくすくと育ちすぎた百八十五センチ。
おかげで無愛想だの生意気だの野犬だの、喧嘩を売られるか怖がられてきた。
そもそもがローテンションでコミュニケーション能力が壊滅的なせいだ。
両耳のピアスや左手首から肩にかけて絡みつくように彫られた鳳凰の刺青は、惚れた男の趣味である。
一斉は男が好きだ。
男はヤクザだった。
男の頼みはなんでも聞いた。頼まれれば誰にでも抱かれた。危ない仕事もした。一線は超えなかったが、そうやって好かれたかった。バカなりに愛され方を模索したのだ。
けれどもう、死んだ。
別にちっとも恨んじゃいない。
好きだった人。感情が表に出にくい質なので、取り乱すことも涙することもない。
よくある話。どうでもいい話だ。
台風の翌日の川は、どっぷりと増水していた。橋の下のネットも風にやられてねじれていたため、一斉の体を阻むものはない。
だからスムーズに死んだ。
確かに、死んだのだ。
◇ ◇ ◇
目を覚ますと、一斉は上も下も前も後ろも定まらない真っ白な空間で立ち尽くしていた。
そして服も着ていなかった。
つまり全裸だ。まさか死ぬと全裸になるなんて知らなかった。
鳥肌がザラザラと毛羽立つ。寒い。
『佐転 一斉』
サスサスと腕をこすっていると、ふと、どこからともなく声が聞こえた。老若男女の声を同時に出したような奇妙な声だ。
『佐転 一斉。オマエは確かに死んだ。しかしその時、他人の運命を変えてしまったのだ』
──他人の、運命……?
聞き覚えのない声の言葉に、一斉は腕をさする手をピタリと止めた。
やはり、自分は確かに死んでいたらしい。けれど運命を変えると言われてもピンとこなくて、ぼんやりと反芻する。
『自失状態のオマエは気づかなかったが、様子のおかしいオマエを通りすがった登山客の男が発見し、橋を進んでいた』
「…………」
『飛び降りたオマエと共に、死んだよ』
「…………っ!」
〝死んだよ〟
そのたった四文字の意味を理解した途端、一斉の体温のない死に体が氷のように冷え、開いた唇が言葉を失って震えた。
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