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恵子はタクシーを呼んでアパートに帰宅した。経験したことのない痛みにもしかしたらと不安が過った。死ぬのはいい、でも一目あの子を見たい。財布に入れてる金原の名刺を出した。どうせおまじないだろうと信じていなかったが苦しい時の神頼みである。名刺を挟んで擦り合わせた。『神様、これが最後のお願いです。一目でいいからあの子に合わせてください。遠くからでもいいんです。お願いします。この通りです』
手を合わせ目を開けるといつぞやの男が座っていた。
「呼びましたね。ここに来る途中あなたの子に会ってきました。今年から中学生ですよ。金ぴかのボタンが眩しい」
「あなたはやっぱり神様の使いなのね」
「ええ、だからあの時もそう言ったじゃありませんか」
「お願い、あの子に会えるかしら、わたしはもう歩けない」
「あの子はあれからあの二人に育てられています。妹も出来て仲睦ましく暮らしている。彼女が理解ある女性で結果よかった」
「そうですか、会いたい、一目でいい。わたしは後どれくらい生きられるでしょうか」
「失礼します」
恵子の額に右手人差し指の腹を当てた。天中から山根まで読み取る。
「今からでも病院に行って手術すれば後遺症は残るが命は繋がるでしょう」
「歩けるんですか?」
金原が首を横に振った。
「動けなくなり、他所の人の世話になって生きるほど徳がありません。一目あの子を見てこのままお迎えを待ちます」
恵子の涙は決意表明である。
「あなたは死後の希望はありますか?」
「そんな夢が叶うんですか?」
「これこそ私の得意じゃありませんか」
「私は鳩胸です。鳩が近くに来ると親近感が湧きます。鳩になってあの子の傍にいてやりたい」
「いいアイデアですね、でも鳩は寿命が短いですよ。それに転生前のことはほとんど忘れています。稀に通じる時がありますが一瞬でしょう。それでもいいですか?」
「一瞬でも通じればそんな嬉しいことはありません」
「分かりました。あの子ことだけを想って目を瞑ってください。金原は掌の生命線を額に当て掌を頭に被せた。指が裂けるほどに広げると脳に沈んで行く。寿命の末端に恵子の願いを繋いだ。そして転生した命を小指に絡んで息を吹きかけた。
入学式の朝だった。
「やっぱり北海道の春は寒いわね」
明子が小学生の長女の弁当を詰めている。
「桜が咲くのはゴールデンウイークだからね、一か月以上遅いんだ」
義明が車のエンジンを掛けに外に出た。
「どうしたんた恵一」
「鳩が来てじっと僕を見てるんだ」
義明は鳩胸だった恵子を想い出した。恵子の血を引いた恵一も鳩胸だった。
「鳩さん、僕も鳩胸だよ、ホッポー、おいでよホッポー」
鳩の目から涙が落ちた。
了
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