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 巧の母は、巧が幼稚園の頃に亡くなった。  胃癌だったと聞いている。  ――まったくお父さんのやつー。お母さんを出せば僕が言う事聞くと思って。  そんな卑怯な手には、絶対乗らないのだ、と巧は思う。  ――それに、お母さんは、僕が夢を持つことを、いつも応援してくれるんだもんね。  巧はそう思って、父の言う事など無視することにした。  去年もらった母からのメッセージDVDの中で母は、 「世の中のことも自分のことも、よーく研究して、たっくんの長所を活かした大きな夢を描いてね」  と言っていた。  巧はそれを覚えていたが、言葉の前半部分は全く気に留められていない。  巧の家は、祖父の代から病院を経営している。今の院長は二代目の父で、祖父は医者を辞めて理事長を務めている。  祖父と父は、本当は巧に病院を継いでほしいのだ。  巧はこれでも、学校の成績はたいてい学年一位である。  兄の奏は、頭もいいし、弟の巧から見てもとても優しいけれど、医者になるには少し繊細すぎるのだと父は思っているらしい。病院は、いつも人の生死に向き合っていなければならないし、精神的にも肉体的にも、人の汚い部分を日常的に見なければならない。  それに奏は、数学や物理の成績が抜群にいい。医者になるより、その才能を活かしてほしいと思うのは、父や祖父のみならず、巧だってそうだ。  けれどそうなると、病院を継ぐのは必然的に巧になってしまう。巧にとって、それは深いジレンマだった。  巧は椅子の背にもたれかかって思う。  ――お父さんなんて、自分の奥さんも助けられないポンコツ医者のくせに。  胃癌の五年生存率は高いことを、巧は知っている。  それなのに死んじゃうなんて。  医者なんて嘘くさい商売だと巧は思っている。そんなポンコツな職業に、一生を捧げるなんて、とてもできない。
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