第五章

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第五章

「おい、死ぬのか?」  頭上、金網の上。  雨で視界を遮られながら、見上げる。  金網の上に座っている少年がいた。  驚いてコンクリートの床にペタンと尻もちをついた。  少年は雨の中、ジッとこちらを見つめている。 「俺と一緒に飛ぶか?」  何も言えずに座っていると、金網を器用にスルスルと降りて来た。  トンと音がして彼はコンクリートの床に降り立つ。  天使‥‥。  私はそう思った。  彼は私の瞳の中の暗闇を見ようとするように、私の顔を覗き込む。  私は目を逸らせずにいた。  その瞳の中に、私と同じ暗闇が見えた気がした。  彼は右手を差し出した。 「驚かせて悪りぃ。 でも、今日は天気が悪いから、上手く飛べないぞ」  そう言って寂しそうに微笑んだ。  あまりに唐突で現実離れした展開に、おかしくなった私は、つられて笑ってしまった。  彼は、立てなくなった私を背負い、一階まで、あの長い階段を降り、ホテルの外に出た。  雨の中、私を背負いながら、彼は自分の話をしてくれた。  彼の名前は逢沢千尋(アイザワ チヒロ)。  19歳。  あのビルは彼の両親のものだった。  彼は前科者で、女の子をナンパして風俗店に売り飛ばす仕事をしていた。  良くない仕事だと言うのは私にだって分かる。  窃盗、暴行、恐喝。やってないのは殺人と婦女暴行くらいと言っていた。  逮捕され、最近少年院から出て来たばかりだと言う。  今は工場で働いているらしい。  あのビルに来ていたのは、彼の妹のためだと言ってから黙ってしまった。  私はそれ以上聞かなかった。  知られたくない事は誰にだってある。  私にもある。  この秘密を知ったら、彼はきっと私を軽蔑するだろう。  私は背負われながら、彼の首にギュッと抱きついた。  彼は何も言わず、その腕をギュッと握り返してくれた。  その手は温かく、逞しかった。
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