ラーメンと少年誌

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毎週月曜日に週刊少年誌を買っている。電子版でも読めるものをわざわざコンビニまで買いに行っているのは、運動不足を解消するためだ。男子大学生というのは自堕落なもので、こうやって散歩をする理由を作らなければ運動をする機会などなくなってしまうのである。 そう話すと、俺の目の前でラーメンを啜っていた太田がこちらを見た。 「ふぁんへ?」 「口にラーメン入れたまま喋るな」 俺とてマナーを完璧に守って食事をしているわけではないけれど、さすがにこれは見過せない。顔を顰めながら注意すると、太田はごくりとラーメンを飲み込んだ。そして、改めて口を開く。 「なんで?運動する機会なんていくらでもあるじゃん」 「そりゃあお前はな。現役バレー部の太田と万年帰宅部の俺を一緒にされても困る」 「だから御垣もバレー部入ろって誘ったのに」 入学当時、太田はどこのサークルにも部活にも所属しない俺を見かねて熱心に勧誘をしてくれた。それは余計なお世話というやつだったけれど、誘いを断ってしまったという罪悪感はあるので俺は視線を逸らす。 「……まあ、それはともかくとして」 「えっ、ともかくとしちゃうの?いま御垣が運動しなさすぎてやばいって話をしてるんじゃなかった?」 言いながら、太田はこってり豚骨ラーメンのスープを箸でぐるぐるとかき混ぜた。こんなカロリーの塊のようなものを食べていながら太田の腹筋はバキバキに割れている。バレー部の練習というのはそんなにキツいものなのだろうか。だとしたら、やっぱり俺は入部しなくて正解だったのかもしれない。 「違うだろ。むしろ逆。毎週コンビニまでちょっとした散歩をしてるから俺は運動不足じゃないってこと」 わざわざこんな話をしたのは、太田が俺の生活習慣をやけに心配してくるからだ。運動しなさすぎだとか、寝不足の状態で講義に出るのはやめろだとか、自炊をサボるなだとか。おまえは俺の母親なのか、と言いたくなるほど太田は俺の生活に口を出してくる。その割に結構な頻度でラーメン屋に誘ってくるのだからわけが分からない。太田は俺を健康にしたいのか不健康にしたいのかどっちなのだろう。 「コンビニまでの散歩は運動としてカウントされないと思いまーす」 れんげを使ってスープを一口飲んだ太田は、そう言いながらメニュー表を開く。 「おし、俺は替え玉頼もっと。御垣も食べる?」 「おまえほんとによく食べるな……。俺はいい」 目の前にある醤油ラーメンのスープを見る。替え玉は断ったけれど、確かにここのラーメンは美味しい。特に醤油ラーメンは格別だ。ぼんやりとそんなことを考えていると、太田は不思議そうに首を傾げた。 「え、替え玉しないの?御垣めっちゃラーメン好きじゃん」 「……は?」 太田のその言葉に、俺は思わずぽかんと口を開けてしまう。ラーメンが好きなんてこと、太田には一度も言ったことがないはずなのに。 「好き、っていうか……手軽に食べれて便利だなとは思ってるけど」 「えー、うっそだあ。ラーメン運ばれてくるまでずっとそわそわしてるし、凄い幸せそうな顔で食べてるし、これで好きじゃないわけなくない?」 「っ……!?そんな顔してない!」 言いながら、顔を隠すようにぺたりと頬に手を当てる。子どもじゃあるまいし、好きなものを食べたくらいで分かりやすくはしゃいだりはしていないはずだ。 「してるってば!なんで隠すのさ。御垣の好きな食べ物とか趣味とか、そういうの俺はもっと知りたいなって思うよ?」 「俺のこと大好きかよ……」 思わずそう呟くと、太田はにやりと笑ってこちらを見つめる。 「今頃気付いたの?」 俺の完敗だった。ここまで言われてしまってはもう逃げることなどできなくて、俺は渋々負けを認める。 「……まぁ、確かにラーメンは好きだけど」 「ほらー、やっぱり好きなんじゃん。最初からそうやって素直になっとけばいいのに」 「うるせえ」 俺は、昔から自分の"好き"を晒すことが苦手だった。別にそれが原因でいじめられたとか嫌われたとか、そういうことがあったわけではない。ただ、"好き"を晒け出すというのは自分の内側を全部見せるのと同じことのような気がして、何となく抵抗感があるのだ。 「あっ、てことはさ、御垣は散歩ついでに雑誌を買ってるんじゃなくて、雑誌を買うついでに散歩してるってこと?」 身を乗り出しながらそう尋ねられて、俺は思わずたじろいだ。 「あー……いや、それは……」 「よく考えたら階段上るのさえ嫌がる御垣が散歩とかするわけないもんね。今どき漫画雑誌なんて電子で買えるのに、わざわざ紙で買ってるってことは相当好きなんでしょ?」 無邪気な声で図星をつかれ、俺はそっと視線を逸らす。 「……もうその話はいいだろ。おまえいい加減替え玉注文しろよ」 「露骨に話逸らそうとしてるってことは図星ってことでいい?」 くふふ、と楽しそうに太田が笑う。 「そっかそっか、御垣は漫画が好きなのか〜」 「……すみません、替え玉一つください」 揶揄いの表情を浮かべる太田を無視して店員を呼ぶと、太田は「あ、すみません、やっぱ替え玉二つで!」と声を張り上げた。 「おい、俺は欲しいなんて言ってないだろ」 「もういいじゃん。俺にはラーメン好きがバレちゃったんだからさ。今日から御垣も替え玉解禁ね」 男子大学生なんだからいっぱい食べなきゃ、と太田が笑う。バレー部の太田はともかく、帰宅部の俺がたくさん食べたところで脂肪になるだけなのは分かりきっているのだけれど。それでも、もう抵抗することさえ面倒で、俺は運ばれてくる替え玉を黙って見守った。 月曜日。いつも通りコンビニで週刊少年誌を買ってから大学に向かうと、俺を見つけるや否や太田がこちらに向かって走ってきた。 「御垣、それもう読んだ?」 それ、と言いながら、太田は俺の手にある少年誌を指差す。 「いや、まだだけど」 答えると、太田は俺の手から雑誌を奪った。 「まだなら見て!今すぐ見て!!」 言いながら、太田はぺらぺらとページを捲る。そして、ある一点で手を止めるとパッと紙面を開いてこちらに見せてきた。 「ほら、ここ!」 太田の指差す先には、大きなゴシック体で『情報解禁!』の文字が。 「アニメ化決定、原画展、サイン会開催決定……?」 黙って文字を追っていると、そんな言葉が目に入ってきて思わず目を見張る。 「えっ、これ、なんっ……」 「情報解禁って言ったってさ、まさかこんなデカい情報が一気に出されるとは思わないじゃん!?この雑誌読んでるなら御垣も絶対この漫画好きだろうなって思って、はやく言いたくて──」 太田が何事かをぺらぺらと喋っているが、その全てが右から左へと抜けていく。 俺は、自分でも分かるほどに恍惚の表情を浮かべて雑誌を抱きしめた。 「生きててよかった……」 太田の言うとおり、この漫画は掲載されている中で一番好きな作品だ。決して一般ウケするようなストーリーではないけれど、コアなファンからの根強い人気がある。いつかアニメ化するのではないか、と思ってはいたが、まさかこんなにはやくその夢が叶うとは思っていなかった。その上、原画展にサイン会だ。これで喜ぶなという方が無理というものだろう。 感情の昂るままにぎゅっと雑誌を抱く腕に力を込めていると、ふと太田が微笑ましげな笑みを浮かべてこちらを見ていることに気付く。 「……なんだよ」 「いや?何だかんだ言いつつやっぱり漫画好きなんだなって思っただけ。御垣の口からまさか生きててよかった、なんて言葉聞くとは思ってなかったな〜」 「っ……!」 数分前の自分の言動を思い出し、頬がカッと熱くなる。 「ち、ちがっ……」 「照れるなって。ってかさ、この間言いそびれちゃったけど俺もこの雑誌好きなんだよね。紙で買うと嵩張るから俺は電子版で買ってるんだけど」 「んなこと聞いてねぇよ……」 「えー、なんで?同じ趣味を持つもの同士色々話そうよ」 太田はにこにこと楽しげな笑みを浮かべながらこちらに近づいてくる。 「御垣の好きな食べ物とか趣味とか、俺はそういうのもっと知りたいって言ったでしょ?」 「俺は教えてやるとは言ってないからな……!」 じりじりと後退しながらそう叫ぶが、太田は嬉しそうに笑うばかりで。 「ほら、そろそろ御垣の情報も解禁してこ?」 そう言ってにじり寄ってくる太田をどうやって追い返すものか、と俺は真剣に頭を悩ませるはめになるのだった。
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