【もや恋6】なかなか会えない彼氏をこっそり尾行してみた

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【もや恋6】なかなか会えない彼氏をこっそり尾行してみた

「またなの?」 「ごめんってば。仕事だから仕方ないだろ」  デートのドタキャンは、それだけでも落ち込むものだ。ましてや、私と弘樹の場合はもう2カ月と16日も会っていない。久々に顔が見られると思って、ちょっとお高いブランドのワンピースも買ったというのに。しかし仕事と言われてしまえば、それ以上食い下がることもできない。 「こんど絶対に埋め合わせしてよね」 「わかった、わかった。また時間できたら連絡するわ」  この「時間できたら」が曲者なのだ。彼のスケジュールに私が合わせるようになって、もうずいぶん経つ。最初は週2回以上デートしていたし、何なら突然仕事帰りに「顔が見たい」と車で家まで迎えに来て、そのまま深夜のドライブなんてこともしょっちゅうだった。  ところが、弘樹が新プロジェクトのリーダーに抜擢され、残業や休日出勤が増えてしまったのだ。将来のためにここは踏ん張りどころだと言われ、私も「わがまま言わずに彼を支えなければ」と、いい女ぶったのが間違いのもとで、それ以降は弘樹にとって仕事>私という構図が出来上がってしまった。  しかし、いくら何でもここしばらくはひどい。今回の2カ月超えは新記録だが、その前のデートも一カ月以上間が空いていた。友人に愚痴ると「浮気じゃない?」と言われるが、彼の誕生日やクリスマスは一緒だったので、それはないと信じたい。  ちなみに私たちは二人とも実家住まいだが、互いの家は片道1時間弱の距離なので、どんなに忙しくても会おうと思えば会える。しかし、それを言うと弘樹はイヤそうにするのだ。 「どうせ会うなら、気持ちに余裕があるときが良くない? 疲れてたらイライラするし、仕事のこと考えながら会ってても楽しくないでしょ」  それならば、せめて私が有休を使える日にランチはどうかと提案してみれば、これも言下に却下されてしまった。 「昼飯も同僚と打ち合わせしたり、後輩の相談事を聞いてやる時間なんだよ。派遣のお前にはわかんないかもしれないけど」  イラッとした。派遣社員は滅多に残業もないし、お気楽なもんだと思われてるんだろうな。でも、派遣社員って辛いんだぞ。派遣元と派遣先、二か所からプレッシャーかけられるんだからね。正社員のあんたにはわかんないかもしれないけど。  それはさて置き。次の約束を取り付けようにも、依然のらりくらり躱されて、いよいよ私も我慢の限界が近づいてきた。会いたくないなら、はっきりそう言えばいい。こんな状態じゃもう、付き合ってる意味がないような気がして、私はある行動を起こすことにした。弘樹の行動を監視する作戦だ。  派遣にだって有給はある。むしろ最近はデートが御無沙汰なので、たっぷり溜まりまくっている。それを有効活用して、刑事のように張り込みをしたのである。さすがに朝は会社に直行だろうから、仕事帰りを狙ってみた。週の中間の水曜日と、週末の金曜日。そうしたら、私の知らない弘樹の生活が見えてきた。  まず、水曜日は午後8時過ぎに会社から出てきた。同僚らしき男性と一緒だ。そのまま駅前の居酒屋へ。2時間ほどの残業から、夕食がてらの一杯ってとこか。念のため店の正面のカフェで見張ってたら、1時間くらいで出て来て駅へ向かった。ちょっとLINEしてみよう。  ――(お疲れスタンプ)もう仕事終わった?  ――いまちょうど終わったところ。そろそろ帰るわ(疲れたスタンプ)  嘘つけ、ずいぶん前に仕事は終わってただろ? でも、このくらいは許してやらんでもない。同僚と仕事の話をしてたかもしれないしね。ちょっとモヤるけど、今は泳がせておかないと、調査の精度が下がってしまう。ガマンだ、私。  そして金曜日。この日は出てくるのが早かった。午後7時前、同年代の男女二人ずつのグループで、先日より少し客単価が高そうなベトナム料理の店に入って行った。店は女子が選んだに違いない。野郎二人なら、きっと先日の居酒屋か焼鳥屋あたりだ。  弘樹がドアを開けて、女子二人を店内に通してやっている。ムカつくなぁ、私のときは絶対にそんなことしないくせに。同じ会社から出てきたので同僚ではあるんだろうが、彼らのどことなくはしゃいだ表情から、この会合がさっき思い付きで決まったものではなく、約束されたものだと私は想像した。  つまり弘樹は、私のためにはやらないスケジュール調整を、彼らのためにはやるということだ。私は先日と同じく近くのカフェに陣取り、頭を落ち着かせるためにエスプレッソでカフェインを補給してから、おもむろにLINEを送信した。  ――せっかく週末だし、時間があったらゴハン行かない?  ――無理~。まだ残業中~~~(泣き顔スタンプ)  はい、大嘘いただきました。これはもうアウトだろ。「同僚と飲んでる」と言えない理由は、私に構えない罪悪感からか、それとも女子二人のうちのどっちかが浮気相手か。浮気までいってなくても、さっきの浮かれた顔を見れば、なんとなく下心くらいはありそうな気がする。  私は爆発しそうな不安を胸に、翌日の土曜も尾行を続けることにした。もしも彼が私を裏切っているのなら、この恋はきっぱり諦めなければいけない。辛いけど、まだ弘樹のことは好きだけど、自尊心を捨ててまで縋りつくなんて考えられない。  しかし弘樹の休日は、女の影ひとつ見当たらなかった。その日は午後から休日出勤だと言っていたので、昼前から自宅の玄関を見張ってみた。すると弘樹は昼過ぎにジャージ姿で家を出て、近所のコンビニで何か買って帰って来た。ねぇ、めっちゃ暇そうなんだけど。そんなに暇なのにデート断られるの、意味わかんないんだけど。  しばらくそのまま様子をうかがったが、あまり住宅街で見張りを続けると不審に思われそうなので、もう帰ろうかなと思い始めたころ、また弘樹が出てきた。さっきと同じジャージで、首にタオルを巻いている。今度はどこへ行くのかと後をつけてみれば、何とバッティングセンターに入って行くではないか。私はこらえきれずLINEを送った。  ――(お疲れスタンプ)今日は何時ごろ終わりそう?  ――ちょっと終わりが見えない。月曜の朝イチまでに用意しないといけない企画書があるんだ。  ほうほう、その企画書ってのは、100kmと書いてあるブースでバットを振ることなのかな? 私がガラス張りのエントランスから見ているのも知らず、弘樹はスマホをポケットに突っ込んで、またバットを振った。いえーい、空振り。ざまぁ!  そのうちだんだんアホらしくなって、私は弘樹の立つバッターボックスの真後ろに座った。長時間立ったままだった足腰が悲鳴を上げている。こんなアンポンタンのために、何をやっとるんだ私は。弘樹は全くこちらに気づくことなく、20球ほど打ってようやく後ろを向いた。 「おわっ!」  私を見て、弘樹は軽く後ろに飛びのいた。私はオバケじゃないんだが。「よっ」と言って手をあげると、おそるおそる近づいてきた。 「……何してんの」 「いや、それ私のセリフだし。休日出勤で、終わりの見えない仕事なんじゃなかったっけ」  弘樹はぐっと黙り込み、バットのグリップを手の中でぐるぐる回している。どう答えようか迷っているようなので、ごまかしても無駄だということを教えてやった。 「忙しいって言いながら、会社帰りに飲みに行ってたよね。昨日なんか女の子も一緒に」 「ちょ、お前。見張ってたのかよ、汚ぇぞ」 「あまりにも会えないから、不安になったんだよ。それに実際、嘘ついてたじゃん。そっちの方がよっぽど汚いよ」  再び弘樹が黙り込む。そして一言「浮気はしてない」と呟いた。 「じゃあ、何で私は避けられてるの? 嫌いになったんだったら、はっきり言って欲しい。いつまでも待たなきゃいけない理由が知りたいの」  弘樹は数分、無言で何やら考えているようだった。そして言いづらそうに眉毛を下げて、ようやく本音を零した。 「まあ、何て言うか……気が乗らない、っていうか」  なんだ、それ。だったら、付き合う必要ないじゃん。しかし、別れたいのかと聞いてみれば、それは違うと弘樹は首を振る。 「そうじゃなくて。好きだけど、今は会う気分じゃないっていうか。そのうち会いたい気分になったら、会おうかなと思ってた」  予想の斜め上をいく自己中発言に、頭がくらくらした。弘樹のバットを奪って、殴ってやりたい心境だ。私は「仕事を優先して」とは言ったが、彼の気まぐれを待ち続ける、便利なキープ女になんてなるつもりはない。 「もういい、別れよう」  あんまり馬鹿馬鹿しくて、口から出ていた。いっそのこと、浮気や心変わりの方が良かった。闘う相手や責める相手がいるぶん、怒りのぶつけようがある。 「いや、待てよ。別れなくていいだろ、そのうち時間作ろうと思ってたんだよ。そうだ、今からでもどこか――」  弘樹が慌てて取り繕おうとするが、響かないことこの上ない。なんでこんな男を待ち続けたのか。一旦冷めた女に言い訳など通用しないことを思い知ればいい。 「今さらだよ。私、コンビニやバッティングセンターより優先順位が下だったってことでしょ。それって、どれほど自尊心が傷つくか、わかる?」  私はバッターボックス裏のベンチから立ち上がり、通路にある販売機で300円25球のコインを買った。そして戸惑い顔の弘樹の手に握らせる。 「気が乗らない相手とデートするより、空振りしてる方が楽しそうだし」  そして、ベンチに置いてあったバッグを肩にかけると、極上のスマイルを顔に貼り付けた。ここは女の意地である。 「じゃ、そういうことで。さよなら」  弘樹はもう引き止めなかった。もともと、何カ月も放置して平気な相手だ。いなくなったところで、彼の生活に変化はない。どうしてそこに気づかなかったのか。どうして彼の気持ちが、まだ自分にあると信じていたのか。本当に大事な相手なら、どんなに忙しくても不安にさせたりしないのが大人の男だろう。  私はそのまま家に帰り、ベッドにひっくり返って何時間もぼんやりとした。たぶん、さっきのでお別れということだ。失恋したので、泣けるかなと思ったが全く悲しくない。どちらかというと、実感がない。会えなくて不安な間は、あんなに弘樹のことばかり考えていたのに。  ごろりと横になると、たんすの横のチェストが目に入った。そして同時に、昔お気に入りだったピアスを思い出した。大学生のころ、頑張ってアルバイトをして買った、自分への贈物だ。当時は毎日つけていたが、今はアクセサリーボックスの奥に、ひっそりとしまいこんである。  デザインが好きなので処分するつもりはないし、ふと気が向いて年に何度かつけることもある。弘樹にとって私は、そんな存在だったのかもしれない。  でも、私はアクセサリーではなく人間で、しまい込まれて出番を待つのは御免だ。いつも身につけて欲しいし、キラキラ輝いて、愛されていたい。  そう考えると、弘樹とは良い別れ方だったのではないだろうか。呆れて一気に冷めたせいで、追い縋る要素が何一つない。きっと彼はまた、新しい相手をみつけるだろう。そして、同じことをするかもしれない。いや、たぶんする。別れ際の不貞腐れた顔を思い出すと、とても反省しているとは思えなかった。  その時はぜひ、こっぴどく振られて痛い目に遭って欲しいと思う私は、底意地が悪いだろうか。「そんなんだから相手にされないんだよ」とドヤる脳内の弘樹に向かって、私は思い切り金属バットを振り下ろした。
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