僕は忘れ者、あなたは鏡の魔女

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「……ただいまぁ……」  下校時間、家に帰っても両親はいない。それがわかっていてもなお、僕は帰宅して自室に入る時、いつもその言葉を口にする。  暗い茶色、シックな風味の広々とした学習机に突っ伏しながら、溜息。飾り気はまるでないけど、正面に備え付けの本棚は大きくて、愛読書や使用中のノート、学校の教科書等全て並べてもゆとりがある。16歳の女の子が使うようなデザインの机じゃないのは親戚のおじさんからのお下がりだから。でも、機能的だから僕はとても気に入っている。一日の内で最も楽しい時間は、この机に向かって自分のしたいことをしたり、好きなことについて考えている時なんだ。  埃が積もるのは好きじゃないから掃いやすいように、せっかく広い机の上にも必要最小限のものしか置いていない。ペン立てと、街を歩いていて一目ぼれしたカプセル筐体を回して出てきた、小さな女の子と動物の人形がひとつずつ。  それと、家の近くの川の土手で拾った天然石と、四葉のクローバーの押し花。前者は手のひらくらいの大きさのごつごつした石の断面に穴が開いていて、小さな洞窟めいたその穴に黒いキラキラした石が詰まっている。覗き込むと奥へ奥へ、どこまでも続いているみたいに錯覚出来て楽しい。後者はどこの草っ原でも取れるもので珍しくもないだろうけど、人生で最初に見つけた一本だから、その記念に。  これが、僕の愛する、広くて小さな机の世界の全て……、 『あら、どうしたの?  「みく」ったら、今日はなんだか元気がないじゃない』  おっと、いけない。最後のひとつを忘れてた。  机の淵に置いてある、六角形の卓上の鏡。ちょうど顔がぴったり映る、みだしなみを整えるためのもの。亡くなったおばあちゃんの贈り物で、年頃になったらこれを見てお化粧をするのかねぇ、なんて言ってたっけ。残念ながらお化粧した僕の顔を見せる機会はなかったし、今に至っても僕はお化粧にはちっとも興味がない。せっかく外を散歩して、顔に風を受けても、その顔に人工的な粉がまぶしてあったら気持ち良さが半減する気がするんだもん。 『ちょっとちょっとぉ、また脱線してるってば!  いつになったらワタシの相手をしてくれるの?』  鏡の向こうの彼女は、不満そうな声だけを投げてくる。鏡を見ても映っているのは僕自身の顔でしかないし、口も動いてはいない。  鏡の向こうの誰かさんは僕のことを何でも知っているし、こうやって考えていることも筒抜けだ。名前だって教えていないのに知っていて、なのに彼女は僕に名前を教えてくれない。
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