第四章 夏の終わり

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「昨日は、一人で先走っちゃったからな」    窓を半分開けると、涼しい風が入ってカーテンを翻す。金木犀の甘い香りがして、胸がぐらぐらする。   「昨日はごめんね。初めてだったのに……怖かったよね」    哀れまれているようで釈然としない。   「別に……ちょっと驚いただけだ」 「そう? 今日は優しくするから」 「……しなくていい」 「うん、でも」 「女扱いするな。あれくらい、別に、どうってこと……」    緊張で震える。心臓がバクバクとうるさい。自然と呼吸が乱れる。樹に悟られたくなくて、顔を背けた。    樹の器用な指が、俺のシャツのボタンを一つずつ外す。剥き出しになった腹部がスースーする。汗が乾いていく。樹は、俺の腹や胸を撫でながら、首筋に顔を埋めた。   「はぁ……悠ちゃん、いい匂いする」    お前の方が、いつもいい匂いがする。俺なんて、汗くさいだけだ。   「悠李……」    名前を呼ばないでほしい。変な気分になる。耳を触られるとくすぐったいのに、腹の奥がぞわぞわして妙な感覚に陥る。   「こっち向いて、ベロ出してごらん」    優しく言われて唇を捲られると、俺の意思とは関係なく舌が外へ出たがる。すかさず吸い付かれた。酸素と共に思考が奪われる。   「ふ、ぅ……んン……っ」    鼻声のような、声とも息ともつかないおかしな音が漏れるのが恥ずかしい。どうしてこうなるのだろう。もっと静かにしていたいのに。    水飴を舐めるように、唾液まみれの舌を舐られる。いやらしい音が響く。樹の唾液が垂れてきたのか、それとも俺のが溢れてしまったのか、飲み込めなかったものが口の端を伝う。拭いたいのに、俺の両手は樹にしがみつくので精一杯で、自由に動かない。溢れたものは、枕に染みを作ってしまっただろうか。   「ふ……んぁ?!」    いつの間にかベルトを外されていた。下腹部までスースーする。思わず脚を閉じ、下着をずり上げた。が、樹に窘められる。   「オレも脱ぐから、ね」    口の端に伝う唾液を親指で拭って舐めてみせる、その仕草が色っぽくて魅入ってしまった。クリーニングに出したばかりなのか、やけに白くて糊の利いたシャツを、風を切って脱ぎ捨てる。それだけの仕草が、ムカつくくらい様になっている。   「そんなに見ないでおくれよ」    樹は困ったように笑う。指摘されて初めて見つめていたことに気付き、俺は慌てて目を伏せた。   「見てないっ」 「見てたって。このやり取り、昼間もしたよね」 「み、てない……お前の体なんて……」 「……でもオレは、悠ちゃんの体見てたいよ」    胸元からウエスト、ヘソの窪み、そして、まだあまり毛の生えていないヘソの下へと、樹の手が滑っていく。   「ぅあ……そ、そこ……」 「うん。触るよ」 「ぁ、あ……っ」    特別汗を掻いたわけではないけど、一日過ごして風呂に入ってないから汚いのに。お前も嫌じゃないのか、他人のそんなところを触って。そもそも、そんなところを触る必要はあるのか。舌を入れるキスだけでもキャパオーバーなのに、これ以上は心も体もついていかない。    言いたいことは山ほどあるが、喋ろうとして口を開けても、妙に上擦った息だか声だかよく分からない音が漏れるだけで、これなら何も喋れない方がマシだと思った。    樹の手は俺よりも大きくて、指は長くてしなやかで、けれど案外節くれ立っていて、そのくせ器用にあちこち動き回る。自分でする時は感じすぎるからあえて避けている箇所も、躊躇なく弄られる。やめてほしくても、変な声しか出ないから何も言いたくない。逃げようとして腰を引くと、余計嬉しそうに弄ぐられる。他人にされるのって、こんな感覚なのか。自分では制御できないまま、無理やり高みへと押し上げられる。   「あ゛、ふ、ぅう゛ぅ……」    どうしよう。このまま、見たこともない高みへと投げ出されるのだろうか。まだ何の準備もできていないのに。怖い。俺は必死に手を伸ばして、樹を抱き寄せた。溺れる者は藁をも掴むというが、それ以上に必死になって広い背中を掻き抱いてしがみつき、厚みのある肩に噛み付いた。   「ん゛ぐ――ッ」 「い゛だっ……!?」    思い切り歯を立てて声を押し殺した。ふー、ふー、と息を荒くしてさらに歯を食い込ませると、血の味がした。   「い、いたっ、痛いよ、悠ちゃん」 「ふぁ……」    口を離すと唾液が引く。血の赤と混じって酷い。急に力が抜けてしまって、俺は身を横たえた。ふかふかの枕が重い頭を抱き留める。霞む視界に樹の影が揺れる。顔が近い。食い入るように見つめられている気がした。   「悠李……」    だから名前で呼ぶな。解放されたはずの下腹部が変になる。……いや、本当に変だ。物理的に新たな刺激が加えられている。ようやく這い出たはずの泥沼に、息継ぎもままならないまま再び沈められる。脚をバタつかせて逃れようとするも、それ以上の力で樹に押さえ込まれる。   「やっっ……!」 「ごめっ……すぐ済むから……」    数倍に膨れ上がった快楽が襲い、一瞬にして高みまで追い詰められる。今すぐにでもイッてしまいそう。怖くなって、また肩に齧り付いた。   「いっ……」    樹の声が引き攣り、唯一しがみつくことのできる肉体が離れていく。行かないで。そばにいてくれ。   「ごめんごめん。ほら、噛むならこっちにして、ね」    歯形の残っていない肩を差し出され、俺は夢中で噛み付いた。また樹の声が引き攣る。けれど、今度は離れていかない。それどころか、一層密着して俺を抱きしめた。   「一緒に、ね……」    男らしい大きな手に包まれながら、樹のそれをぐりぐり擦り付けられる。なんだかもう、何が起きているんだかよく分からない。さっき手でされた時よりも、ずっと熱い。体も熱い。交わっているその一点が熱い。摩擦熱なのか体温なのか、爆発しそうに熱い。   「ふッ……んン゛――」    胸が苦しい。息ができない。声が出せない。今確かに達したのに、地獄の責め苦が終わらない。またすぐイッてしまう。でも不思議なことに、酷くされて安心している自分もいた。優しくされたいのに、酷くされたい。酷くされながら、優しくされたいと願いたい。わがままだって分かっているけど。だって、あんまり甘やかされたら、勘違いしてしまいそうだから。   「っ、は、オレもう……」    余裕のない声が鼓膜を揺さぶる。髪を撫でられ抱き寄せられて、首筋にキスされた。瞬間、下腹部の弾ける感触が伝わってくる。密着しているから、脈打っているのがよく分かる。温かな粘液を浴びて、俺のそこも弾けた。    昨日今日と初めてのことばかりが続く。死ぬほど疲れた。もう何も考えたくない。
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