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彼女、魚塚響がこんな辺鄙な海辺の村へやって来るには理由があった。
それは数日前のこと。事前に予約を入れて彼女の事務所へやってきたのは石橋姓を名乗る一組の老夫婦だった。
「二年前行方不明になった娘、彩音の遺品を探してきてほしいのです」
元々法人の探偵事務所に勤めていて経験を積み、そして最近念願の個人事務所を開業した彼女には何とも珍しい依頼だった。ほぼ初めてに等しい内容の依頼に魚塚は思わずキョトンとして何回か瞬きを繰り返してしまう。この夫婦は私立探偵を何でも屋と勘違いしているのではないかとすら疑った。
雇われの身だった時も、独立してからも圧倒的に浮気調査やストーカー調査、企業調査が多かった魚塚は思わず狼狽えながら聞き返してしまった。
「……え?人探しではなく? 」
「はい、遺品探しです」
どうしてまた、なんて無粋なことを聞いてしまい「しまった」と魚塚は思うも、時すでに遅し。奥様は悲しそうな表情を見せ、旦那様は諦めきった笑顔を貼り付けた。
「娘が行方不明になってもう二年、警察を頼っても音沙汰無いのです。ああ、もう生きてないんだなと諦めるしかないのですよ」
口では諦めていると言ってはいるものの、声色はどこか諦めきれていないのを感じ取れた魚塚は思わず説得してしまう。しかし老夫婦は「もういいのです」と静かに首を横に振るだけで、その変えようとしない想いに魚塚が折れた。
「わかりました。娘である彩音さんの遺品探しというその依頼、引き受けます」
魚塚のこの言葉に、老夫婦は明らかにほっと胸を撫で下ろした。恐らく今まで色々な探偵事務所へ依頼しに行って拒否され続けてきたのかもしれない。「そら探偵も何でも屋じゃないんだから当たり前だろ」とは思うが、魚塚も立派な大人なので絶対口にはしない。他の探偵事務所の考えまでは流石にわからないが、当初どこか疲れ切った顔をしていた老夫婦だったので魚塚は何となくそう察せたのだった。
「それにあたり、彩音さんが行方不明になるまでの経緯を早速聞いてもよろしいでしょうか」
魚塚が遺品探しをしてくれるとわかった老夫婦は非常に協力的で、魚塚の質問に詳しく答えてくれた。
当時、娘である彩音は占いやスピリチュアルと言ったニューエイジなものにどっぷりとハマっていた。スピリチュアルなイベントやセミナーはもちろん、開運グッズやアクセサリーの収集のためによく旅行へ出ていたのだそうだ。
「娘……彩音は『珠津村の勾玉はとってもパワフルで神と繋がれるんだよ! 』と言って、まるで家を飛び出すかのように旅に出たのです。まあこれはいつものことだったので私たちは『またか』と特に気にしていなかったのですが……」
「それが彩音さんの最後の姿だったんですね」
「はい……」
神だの神秘だのを信じていないに等しい魚塚は、「何で娘さんはそんなきな臭い話を信じて……」と内心呆れながら老夫婦の話を傾聴していた。
「して、珠津村とは? 」
「私たちもよくわかっていないのですけど、T県にある小さな漁村のようでして……。特に観光名所がある訳でもなく、私たちも彩音がその名を口にするまでは存在も知りませんでした」
「はぁ……左様ですか」
娘さんは何か騙されてないかそれ? と魚塚は思うも、仕事は仕事なので話を続ける。
当時の娘さんの服装や旅の経路など色々話してくれた老夫婦は最後に写真を数枚魚塚に差し出した。
「こちらが実際の娘の写真です。少しでも役に立てばいいのですが……」
「いえいえ、ありがとうございます。写真があるだけでも助かります」
「写真に載っている遺品でしたら何でもいいです。ですが娘はよくパワーストーンとやらで手作りしたブレスレットを気に入って身に着けていたので、それが一番わかりやすいかと思います」
確かにどの写真にも、彩音と思しき女性の左手首に赤色を基調としたブレスレットが巻かれていた。魚塚からすればそこらの店で売られているアクセサリーにしか見えないが、当時娘さんは親である老夫婦にそのブレスレットを手作りだと自慢して見せていたらしい。老夫婦が見れば娘さんの物かどうかわかるから、それらしいものを見つけたら一度見せてほしいと伝えた。
話が終わり老夫婦を見送ってから、魚塚は初めての遺品探しという仕事内容にどこか緊張と不安を感じていた。そもそも遺品なんてそう簡単に落ちているものなのだろうか、それとも誰かがか盗んで身に着けているとか? など色々と考えてしまう。しかし引き受けたからにはこなさなければならないので、魚塚は早速調査に乗り出した。
二年前の日付を元に、行方不明事件や交通事故などと言った大きな事件を調べつくすも、娘さんが巻き込まれていそうなものは一切なかった。ついでにカルト宗教やスピリチュアル系のセミナーも調べるも、特に珠津村に関係するものもなかった。数日かけて全て洗いざらいするも、結局娘さんが巻き込まれていそうなものは見つからなかった。こうなったら現地へ行って聞き込みをしないと、と結論付けた魚塚は愛用のバイクで半日以上かけながら現場へと出向いたのだった。
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