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店を出てすぐ購入したものを飲みながら先程の話を整理する。石橋彩音は確かにこの村へは来ていた。よって、何かあるとすればこの村か帰り道のどちらかだろう。
「(しかしなんでこんな迷信めいたものを信じるのかなぁ……神やら何やら信じるスピリチュアルな人の気が知れん)」
潮風を浴びながらもう一度喉を潤す。魚塚の脳内は石橋彩音の消息よりも、きな臭い勾玉を祭り上げる外部の人間について占めていた。
「(村の人たちは……まあ先祖代々からの話だろうから別にいいが……でも店主の話だと身代わりってだけで神は何ら関係ないよね。話がどう変わったのか知らんけど、ああいう人たちは自分たちが騙されているなんて考えないのかな。……まっ、私には関係ないか)」
一つ伸びをして、これからの行動を練る。ようやく有力な情報を一つ手に入れたのでもう少し調査を続けたい魚塚だが、目の前に広がっている海岸の景色で口元が引き攣った。
東京を早朝に出ても、珠津村に着くまで半日はかかりそれからの調査。そして調査そのものも難航したのだ。ようやく貴重な情報を得られた時点で空の色が哀愁漂っており、海面がそれを反射していたのだ。遠くで鳴くカラスが余計に物寂しくさせている。
今から急いで事務所のある東京に戻っても、到着するのは夜中なのは目に見えていた。それにこんな疲労が溜まった状態で夜道をバイクで駆けて行くのは危険が伴う。何より、進展もほとんどしていない状態で東京へ戻るのは彼女的に嫌だった。
だが魚塚はこうなることを予想していなかった訳ではない。こうなることも視野に入れて、魚塚はバイクに詰めるだけのキャンピング道具を持って来ていたのだ。実はアウトドアが好きな魚塚。休暇はバイクでキャンプに行っていたりもするので、道具は揃っている。しかし彼女はしっかりと計画を立てた上でのキャンプが好きなのであって、このようなイレギュラーな状況でのキャンプは苦手。事前調べで観光名所はなくこれと言った旅館もない村と知って、嫌な予感が過って慌てて積んだのだった。できることならばこうなってほしくなかったなとぼやきながら、魚塚はバイクへと足を向かわせた。
「(村役場かどこかでキャンプの許可を取らないとな……)」
この後取るべき行動の段取りを立てながら愛車へ戻れば、黒光りしているバイクの横に自分ではない人影が立っていた。不審に思った魚塚は警戒して、一度足を止めて観察する。
サーフボードを抱えた若い男性だった。前髪のビビットな水色のメッシュが目立ち、後ろ髪は一本に結っている。恐らく偏光サングラスなのだろうか、何とも色味の薄いおしゃれなサングラスが彼の性格を表しているようだった。そして身に着けている衣類もTシャツと海パンのはずなのに、ブランド物と一目でわかる。彼のその身なりからして村の外、それも都会から来た人だということが見てわかる。自分と村の年配以外にも人がいたことに驚いた魚塚はどう出るべきか迷って、右足を一歩踏み出すかどうするかを悩んで浮かせたままでいた。
うんうんと悩む魚塚だったが、流石に彼女の視線に気づいたのだろう。サーフボードの彼が軽快に話しかけてきた。
「これ、お姉さんのバイク? 」
男性が指した先はもちろん魚塚のバイク。まだ警戒している魚塚はぎこちなく頷く。彼女のその反応に男性は更にパッと顔を明るくし、海パンのポケットから器用にスマホを取り出した。
「カッコいーね! ねぇ、写真撮ってもいい? 」
「別に構いませんが……」
「マジ? ラッキー!ありがとねー! 」
バイクの持ち主から許可を得られたことで、まるで水を得た魚が如く生き生きと写真を何枚も撮る。しかしそのどれもがバイクを背景にした自撮り。その行動から彼はよく言えば軽い、悪く言えばチャラい人なんだなと魚塚は確信した。自分のバイクだと言い張ってSNSに上げないでほしいなと彼女は願う。他人のバズるためだけの道具にしてほしくないと思うくらいには、魚塚は自分のバイクに強い愛着を持っていた。
一通り写真を撮って満足がいったのか、男はまた器用にスマホを海パンのポケットへ仕舞う。そしてそのまま去っていくのかなと思いきや、男は笑顔で留まっている。それどころか楽しそうに、笑顔を輝かせながら魚塚に語り掛けてきた。予想とは違った彼の行動に、早く道具を取りたい魚塚はあからさまに顔を歪める。
「ねえお姉さんさー、こんな辺鄙な村へ何しに来たん? 」
「……別に何だっていいじゃないですか。そういうあなたはどうなんです」
「オレ? オレは休みだからサーフィンしに来たんだわ。ここはサーフィンの隠れスポットでね、これホント」
「へー」
男はこのサーフボードが目に入らぬかと言いたげに掲げてくるが、波に乗るよりも風を切る方が好きな魚塚にとってすごくどうでもいい情報だった。心底興味ないのが手に取ってわかる。だが男は気にしていないのか、それとも気づいていないのか。男はめげずに話しかけてくる。
「しかしお姉さん、ただ観光しに来た人じゃないよね? 」
「……だから何」
「だって観光名所でも何でもない村に来る物好きなんていないでしょ。確かに海はキレーだけど、そんな格好してれば海水浴目当てじゃないくらいわかる」
男は海を一瞥したかと思えば、すぐに彼女の全身を視線だけで舐めまわした。その視線がかなり不快だったらしく、魚塚の眉間は見事に深まる。
「あなただってサーフィンしに来てるじゃないですか」
「まーそうだけどね? でもお姉さんは違うよね? 」
だってこれサーフィンの道具じゃなくてキャンプ道具っしょ? と男はバイクに積まれている荷物を指摘する。
「あと飲み物だけ買って他の買い物してない所からして、この村の勾玉を買いに来たわけでもない」
男は魚塚の手元にあるペットボトルを指摘すれば、別に悪いことをしている訳でもないのに魚塚は思わずサッと隠してしまった。
「ツーリングの途中で、休憩で立ち寄ったにしては随分疲れ切った顔をしている。そもそもそんな顔で旅を続けるというのならオレは止めるけどね。時間も時間だし」
こいつに言い訳しようが話を逸らそうが、状況が悪化するだけだと魚塚は悟る。これ以上正体を探られ続けるよりも自ら暴いた方が多少は大人しくなるかもしれないと判断した魚塚は、バッグから取り出した名刺を差し出した。男はそれを素直に受け取って、「魚塚探偵事務所 所長 魚塚響」の他に住所や電話番号など個人情報が丁寧に書かれた名刺をマジマジと眺めた。
「へー、お姉さん探偵さんだったんだー。……で、そんな探偵さんがこんな村へ何しに来たん? 」
色の薄いサングラスの下からまるで射抜くような鋭い視線に、魚塚は居心地が悪くなって隠そうともせずに顔を背ける。
「……守秘義務があるので言えません」
それでもまじまじと魚塚を見つめる男。魚塚は自分が段々とイラつきが募っているのが嫌でもわかった。それでも男は諦めずに推理を続ける。
「事件……ではないねぇ。そもそもここ最近この村で事件が起きたなんてないし。うーん、そうだなぁ。さしずめ、行方不明者の捜査ってところ? 」
当たらずと雖も遠からずな結論に、魚塚は名刺を渡したことを酷く後悔した。相手にもわかるよう、あからさまに額を押さえる。
まさかあんな形の男にここまで言い当てられるなんて誰が思ったか。あまりの推理力に、もしやこの男は同業者なんじゃないかと疑う魚塚。もし仮にそうだったとすると、彼は自分よりも優秀な探偵ということになるので魚塚その先を考えないことにした。
「あんたいい加減にしろ」
もうこの男と関わりたくない魚塚は、怒りに任せて男を押し退ける。男は「おっと」と零すが、特に気にしていない模様。そのまま魚塚はバイクから荷物を下ろした。
「まさかと思うけど野宿でもするつもり? 」
「……あんたには関係ないでしょ」
懲りずに話しかけてくる男に、魚塚はひと睨み。しかし効いた様子はない。
「やめときなー? 女性が一人で野宿とか危険よー? 」
言っていることは正論ではあるのだが、如何せん彼の態度がへらへらとしているせいで魚塚は「はいそうですか」と従う気になれなかった。魚塚は男の忠告を無視して、下ろした道具を背負う。
それでも男は諦めなかった。
「それに、ここの海は夜になると怖ーい噂があるよー? 」
お化けのポーズを取って黒い笑みを浮かべる男。そんな彼とは裏腹にピシリと見事に魚塚の動きが止まる。彼女のその反応に男はより一層笑みを深めた。しかし、それは人当たりの良さそうなものではなく、どちらかと言えば悪戯を思いついた子供のそれだった。
「おややー? もしかしてお姉さん怖いのダメな感じ? 」
「……」
「無言は肯定と取るよー? 」
男のまるで楽しいおもちゃを見つけたと言わんばかりのニヤケ顔に一発拳をめり込みたい魚塚だけど、正直今はそれどころではなかった。男の言う通り、彼女は怖いものに滅法弱かった。弱いとは犬猫を愛でる時に使われる好意的な表現ではなく、文字通り弱点という意味である。何故夏に心霊特集なんかやるのか毎年疑問に思うし、心霊特集を組んだテレビ局に抗議の電話を入れたくなるくらいにはダメだった。そんな彼女が「この海の怖い噂」という初耳情報を聞いて、野宿をするかどうかの天秤が酷く揺らいでいた。怖い噂があるのならば野宿はしたくない、でも今夜一泊できそうな宿があるとも思えない。さあ、どうしたものか。
「民宿あるからそこにしなー? 」
あまりにも微動だにしない魚塚を憐れんでか、何ともありがたい言葉が彼女に降り注ぐ。彼女の心の天秤は今度、野宿と民宿の二つをかけていた。
気に食わない男からの提案ということで一旦天秤は野宿に傾きかけるも、魚塚もそこまで天邪鬼ではない。「海の怖い噂」という大きな情報が、ものの見事に民宿へと傾けさせた。勝敗は一瞬で決まり心の中でKOの鐘が鳴り響く。
「……どこにあるのか教えなさいよ」
気に食わない男に頭を下げるのは凄く癪だが、怖い噂に怯えて一晩過ごす羽目になるかもと考えると背に腹は代えられない。ぐぬぬ、と苦し紛れに助けを求めれば男は露骨にニンマリと笑った。それはもう楽しいおもちゃが手に入ったと言わんばかりの、誰もが近寄りたくないような笑顔である。
「この道を真っ直ぐ行ったすぐそこのあの建物だよー」
男の指先を追う。その指が示す先は、何回も素通りしていた建物だった。
何故魚塚はそれが民宿だと気づかなかったのか。理由はとても明白だった。
「……どう見てもただの民家じゃないの」
「まあおばあちゃんが営む小さい民宿だしね」
「かなり癪だけど、礼を言うわ」
「はい、どーもー」
荷物を積み直してバイクを押していく魚塚の背中に、男はひらひらと手を振った。
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