1.出会い

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1.出会い

 教室の前方にある黒板には白いチョークと赤いチョークで大きく「進級おめでとう」と書かれていた。  後方の扉から入った慎は、その文字の下に男女の生徒が集まっているのを見た。 「えー、私、一番前なの。やだな」 「俺、窓際じゃん。ラッキー」 「ってかさ、中学三年にもなって『進級おめでとう』って何。小学生じゃないんだから」 「まあまあ。座席表だけポツンと貼ってあるのも、何か寂しい感じするんじゃないかな」  聞こえてくる会話で生徒たちが集まっている理由がわかった。  慎は、廊下側に縦に並んだ席たちの横の通路を教室の前方へと歩き始める。一番前の席まで来て、その机に通学用バッグを置き、椅子を引いた。座った途端、席のすぐ前にある扉が勢いよく開いた。 「おっはよー」  快活な声が響く。慎が顔を上に向けると、肩にバッグをかけた男子が黒板のほうへ目線を向けていた。  短髪、春でも日に焼けた肌はいかにもスポーツマンという印象を与える。 「みんな、何見てんの。あ、席の場所か」  それほど大きくない中学校で三年生にもなると、顔と名前くらいは知っている生徒が大半にはなるけれど、それでも初めて入る教室で堂々と話しかける姿は明るいキャラクターのリーダータイプといった様子だ。 「じゃ、俺、廊下側の二番目だな」  そう言った彼、井波涼太(いなみ りょうた)は、慎が座る席の方へと体を向ける。目が合った慎は軽く頭を下げた。教室へ入ってきた勢いに、無意識に圧倒されていたらしい。涼太もうなづくように挨拶を返してきて、そのまま慎を見続ける。視線を外さないまま、慎の後ろの席に腰を下ろした。 「えっと、粟田慎(あわた まこと)だよな」  慎は体を横にして窓の下の壁にもたれ、顔を涼太の方へ向けてうなづいた。切れ長の目を丸くした涼太が机の上に置いたバッグにもたれかかった。 「粟田さ、朝から良いことでもあった」  語尾が上がる。慎は聞かれている質問の意図をすぐに理解して、眉を八の字にする。 「それって、俺が笑ってるから聞いてるんだろ。残念だけど、良いことがあったわけじゃない。地顔なんだ」  涼太は返事を返してくることなく、呆気にとられたように口を開けていた。時が止まったように感じたのは数秒くらいだっただろうか。我に返った様子の涼太が後頭部をかきむしる。 「悪い。すっげえニコニコしてたから、さ」  同じクラスの生徒たちがする会話をBGMに、慎は首をゆっくり横に振った。 「いいよ。慣れてるから。逆にホッとしたよ。『俺のこと、笑ってんのかよ』って怒られなくて」  過去に幾度となく言われたシチュエーションを思い出した慎は、涼太から視線を外して、教室の反対側にある窓の外を見る。  机の上のバッグに体を預けていた涼太が体を起こし、再び目を丸くした。 「えー、そんな風に言うヤツいるのかよ。ビックリだな。人のこと笑ってるような顔には見えねえよ。幸せそうっていうか、見てるこっちがあったかい気持ちになるっていうか。そんな顔だぞ」  声変わりを終えても低すぎない涼太の声は慎の心を温かく包んでくれたような気がした。  教室内に響き渡っていた声が少しずつ遠ざかっていく。涼太が慎から視線を外して、周りを見回した。 「あ、始業式、行かなきゃな」  席を立って慎の前を通り過ぎかけて足を止める。 「何、じっとしてんだよ。行くぞ」  慎は腕をつかまれて立ち上がるように促された。
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