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パーティーのお誘い
「美沙、今週の日曜日空いてる?」
夜の19時過ぎだった。美沙が仕事から帰り、自宅のマンションでご飯を食べていると、親友の希美から1通のラインが入った。美沙はロールキャベツに伸ばしかけていた箸をとめ、スマホを開いて返事を打つ。
「空いてるよ~。飲みに行く?」
スタンプとともに返信すると、すぐに返事が来た。希美からの文面には、こう書いてある。
「新宿で婚活パーティーあるんだけど、一緒に行かない?」
文面を見て、美沙は固まった。理由は、パーティーという文字があったからだ。嫌な記憶が蘇る。
「ごめん、予定確認したら、その日は用事があった~」
緊張しながら文字を打った。一瞬躊躇したが、結局送信のボタンを押す。希美に嘘は通用しないが、文章だったら大丈夫のはずだ。美沙は返信してから、安堵の息を吐く。
しかし、手に持っていたスマホが震えて、ぎくりとした。画面を見ると、希美の名前が表示されている。電話には出たくなかったが、つい数秒前に返信をした手前、気づかなかったフリをすることはできない。
「もしもし・・・」おそるおそる、通話ボタンを押した。
「美沙、もしかしてもう彼氏できたの?!」
スマホから、甲高い希美の声が聞こえてきた。興奮していることが、露骨に分かる声音だった。
「へ?」何のことか分からず、間の抜けた返事をしてしまう。
「だから、彼氏できたの??」
「いや、できてないけど・・・」
「なあ~んだ」希美は大袈裟に溜め息を吐いた。
「なんで、彼氏できたと思ったの?」
「だって、急に婚活パーティー断るから。彼氏ができたのかなって思うじゃん」
「ああ」と美沙は息を吐く。せっかちな希美らしい早合点だな、と思った。
美沙は今年で30歳になる。結婚はしたいと思っていたし、何より子どもが欲しかった。しかし大学時代、合コンに参加して悪い男に騙されて以来、男性不信となって恋愛ができていなかった。
2週間前に、希美にそのことを相談していた。年齢も考えて、そろそろ本気で婚活がしたい。誰か良い人がいたら紹介してくれと、大学以来の友人であり、一番の親友である希美には相談していた。希美は高揚した面持ちで「あたしに任せて」と言っていたが、まさか婚活パーティーに誘われるとは思わなかった。
「彼氏できてないなら、パーティー行こうよ」
「いや、さっきも言ったけど、その日は用事があって・・・」
「嘘だな」希美が鋭く言い放つ。
「う・・・」美沙は言葉に詰まる。
「うん、やっぱり嘘だ。美沙、あたしとの付き合い何年目だと思ってんの? あたしに嘘が通用しないこと、未だに分からないわけ?」
希美の鋭い声が、美沙の鼓膜に突き刺さった。やっぱり希美に、嘘は通用しなかった。
大学時代、美沙は友達がいなかった。地方から上京し、人見知りで他人と会話をすることが苦手な美沙は、自分から声をかけることができず友達を作れなかった。そんな時、声をかけてくれたのが希美だった。明るく社交的な性格をしている希美が声をかけてくれたことを、その時は心からありがたいと思った。
とある昼休みの出来事だった。大学の敷地にあるベンチで2人でランチパックを食べていると、突然希美が変なことを言い出した。
「あたし、人の嘘が分かるんだよね」
「へえ~」最初は何のことを言っているのか分からず、薄い反応をした。
「胡散臭いものを見るような目をしないでよ」希美が怒った顔をする。
「ごめんごめん」美沙は手を左右に振った。「でも、嘘が分かるってどういうこと?」
「あたしは人間嘘発見器なの」
希美が髪をかき上げた。その仕草と横顔は、同性の美沙から見ても惚れぼれするものがあった。希美は整った顔立ちをしている。こんな美人と付き合える男の人は、さぞかし幸せだろうな、と美沙は思う。
「そんなの、初めて聞いたよ」真面目に言う希美が面白くて、少し笑った。
「疑うなら、試してみようか?」
「試すって、どうやって?」
「美沙は今、好きな人いる?」
そういうことか、と思った。自分に質問をして、嘘かどうかを当てるのだろう。
「いないよ」
嘘だった。本当は、好きな人がいた。2週間前に誘われた合コンで、美沙はとある大学院生と知り合っていた。顔も性格も好みで、たった2時間弱の合コンで、すでに恋をしていた。もちろん、連絡先も交換している。
「嘘だ」希美が鋭く指摘した。「嘘だね、今の顔は。というか、美沙は分かりやす過ぎる。あたしじゃなくても、誰だって嘘だって分かるよ」
「なんか悔しいかも」分かりやすいというのは、単純だと言われているような気がした。
「同じ大学の人?」
「そうだよ」今度は肯定してみた。
「嘘だな」
またもや、希美は嘘を見破った。美沙は少し驚く。
「年上?」
「そうだよ」
「これは本当だな。最近知り合った?」
「前から知ってる人だよ」
「嘘だな」
そうこうしているうちに、美沙はあっという間に好きな人の情報を特定されてしまった。年齢、どこで知り合ったか、どこの大学院に通っているか。大学院を特定する時は圧巻で、希美はスマホで都内の大学院を調べて、一つ一つ読み上げて美沙の反応を見て特定した。
「どうして嘘が分かるの?」全てを特定され、目を丸くした美沙は希美に訊いた。
「元からなんだよね」希美はカフェオレのパックにストローを差した。「物心ついた時からそうだったよ。表情や声の微妙な変化、話し振り、目の動き、鼻をこすったり眉をかいたり、そういうので瞬時に分かるんだ」
「すごい・・・」美沙は素直に感心した。
「別にすごくないよ」希美に自慢する様子は微塵もない。「あたしからしたら、どうして他の人が分からないのかが、分からない」
「いつそれに気づいたの? 自分の能力というか、嘘が見抜けることに」
「お父さんの不倫」希美は興味のない、つまらないものを話す時の表情になった。
「あたしが小さい頃、うちのお父さん不倫してて、浮気相手の人が妊娠して離婚したんだ。お父さんは嘘ばっかりついてて、あたしは他に女の人がいることに気づいてた。けどお母さんは全然気づいてなくて、相手の妊娠が発覚してから『騙された』って泣いてた。あたしはどうしてお母さんが気づかなかったのか不思議だった。けど後になって、人は簡単に人の嘘を見抜けないし、見抜ける自分が変わってるんだってことに気づいた」
「そうだったんだ・・・」
美沙はどう返事をすればいいのか分からなくなった。希美が母子家庭であることは知っていたが、まさかそんな事情があったとは思わなかった。変なことを訊いてしまい、申し訳ない気持ちになる。
「だからあたし、嘘つきは嫌いなんだ」美沙の気持ちを知ってか知らずか、希美はそんなことを言った。
「ごめん、私、さっきいっぱい嘘ついたね」非難されている気がして、美沙はうつむいてしまう。
「そんなことないよ。美沙は嘘つかないよ」
「だってさっき、好きな人のことごまかそうとした」
「あたしが嫌いな嘘は、人を傷つける嘘。美沙は、そういう嘘つかないじゃん」
希美の言葉に、美沙は顔を上げた。希美は美沙のことを見て、優しく微笑む。
「あたし、だから美沙と仲良くしたいと思った。美沙は正直で優しくて、人を裏切ったり傷つけるような嘘はつかない。あたしには分かるんだ、人間嘘発見器だから」
希美の優しい言葉に、美沙の心が軽くなった。そして、胸のあたりがじんわりと痺れるのを感じた。初めて人に肯定された気がして、美沙は嬉しくなった。嬉しいのに、なぜか目の中が温かくなるのが、その時は不思議でならなかった。
「で、どうして嘘ついたの?」
あれから10年近く経ち、美沙は希美に問い詰められていた。婚活パーティーに誘ったのに、なぜ嘘をついて逃れようとしたのか、と。
「いや、だって、その・・・」美沙はしどろもどろになる。
「どうしたの? はっきり言いなさいよ」元来がはっきりとした性格の希美は、詰問する時の口調もきつかった。
「そういうの、苦手だから・・・」美沙はかろうじて、それだけを口にする。
「そういうのって、パーティーのこと?」
「うん・・・」
「あのね、美沙」スマホの向こうで、希美が呆れた顔をしているのが分かる。「本当に結婚したいんでしょ? だったら、そういう場所が苦手とか言ってる場合じゃないよ。自分から動かないとダメなの。棚からぼた餅なんてあるわけないんだから、家にずっといても白馬に乗った王子様なんて現れないよ」
希美の指摘に、耳が痛くなる。確かに、その通りだろう。自分から動かなければ、出会いなど訪れるわけもない。それは美沙にも分かっていた。しかし、不特定多数の人間が集まる場所は、人見知りの美沙にとって苦痛でしかなかった。何より、大学時代に合コンで痛い目に遭った記憶が蘇る。そういう場所で出会う人に、良い人はいないように思われた。
「分かってる」美沙の声が小さくなる。「でも、そういうのって恋愛経験豊富な人とかが集まるんでしょ? 私は恋愛経験もないし、容姿も良くないから、きっと行っても無駄になると思う・・・」
希美は今度は、分かりやすく溜め息を吐いた。スマホ越しだというのに、美沙はびくっと身体を震わせる。
「そんなんじゃあ、いつまで経っても結婚できないよ? 美沙もここら辺で、一皮むける必要があるよ。いつまでも過去に縛られて前に進めなかったら、人生損だって」
希美はあの男のことを言っているのだと、美沙はすぐに分かった。大学時代、合コンで知り合った大学院生の男。彼女が何人もいるのに、それを隠して美沙と交際を続けていた男。美沙が他の女の存在を疑った時、相談したのが希美だった。希美はその男と会い、美沙のいる前で次々と嘘を見抜き、女たらしのクズ男であることを見破った。
希美には全部お見通しなのだ。美沙がその出来事をきっかけに男性不信になったこと、未だにあの時のことが忘れられず、自分に自信が持てず、次のステップに踏み出せないことを。恋愛経験や容姿のことは言い訳で、本当は過去に囚われて前に進めていないだけなのだと、希美は全部分かっているのだ。
「うん・・・」希美の言葉を聞き、美沙は小さくうなずいた。
「ごめんね、少し言い方きつかった?」美沙の声が小さくなり、希美は少し心配する。
「私、行くよ」
「え?」
「婚活パーティー行く」
「本当に?」希美の顔がパッと明るくなるのが分かる。
「うん。でも、お洒落な服とかないから、希美に買い物付き合ってもらう」
「もちろん!」
それから、希美と土曜日に会う約束をした。一緒に服を見に行き、ランチをし、カフェに行ってパーティーの準備について話す約束をした。希美の声は終始弾んでおり、当日を心から楽しみにしている様子が感じられた。
電話が終わってから、美沙はどっと疲労感に襲われた。食事の途中だったが、しばらくソファにもたれて動くことができなかった。希美の勢いに押されたが、やはりパーティーに行くのは間違いなのではないか、と何度も考えた。
しかし、希美の気持ちを考えると、無碍に断ることもできなかった。きっと、希美は心配しているのだろう。10年近くも昔のことを引きずり、前に進めない友人のことを心から心配している。美沙が婚活の相談をした時、希美は嬉しかったはずだ。あの時の高揚した希美の表情を思い出す。
「がんばってみるかあ・・・」
頑張るという言葉は好きではなかったが、こればっかりは仕方がないかもしれない。そんなことを考えながら、美沙はスマホを開いて「パーティー 女性 服装」と入力して調べ始めた。
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