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友人の過ち
成沢は都内のレストランにいた。日曜日のランチ時ということもあり、店内にはたくさんの客で溢れ返っている。
コーヒーだけ注文したかったが、それだと怪しまれるためサンドイッチも注文した。食欲はなかったが、仕事のためだから仕方がない。
成沢の視線の先には、1組の男女の姿があった。1人は塚本の彼女の里子で、もう1人は40代半ばぐらいの男だった。
成沢が尾行を開始して5日が経つ。里子が男と会うのを見るのは、これで3回目だった。いずれも違う男で、年代もバラバラだった。若い男の時もあれば、今日のようにだいぶ年上のこともある。
成沢はすぐに、里子がマッチングアプリで男に会っていると気づいた。待ち合わせ場所でのぎこちない挨拶、食事中の徐々に打ち解けていく雰囲気、お店を出た後の連絡先の交換など、それらの様子を見てアプリで会っていると確信した。
「だから、スマホをチェックしろと言ったんだ」
成沢は自分の予想が正しかったことを知り、塚本にラインでそう送った。塚本からは「どういうことだ? どういうことだ?」と執拗に連絡が来たが、成沢は「結果は調査が終了してから報告する」とだけ返事をした。
成沢は里子と男の様子を観察する。短時間でだいぶ打ち解けたようで、談笑しながら食事を楽しんでいる。男は精悍な顔つきをしていて、肌も浅黒く精力的に見えた。貫禄があり、余裕がある。服装も洒落ていて、女性に慣れている雰囲気が漂っていた。
里子はよく笑った。上品に片手で口元を隠し、空いてる手で男の腕に軽く触れる。それから頬杖をつき、男の顔を見つめながらしきりに頷いた。男に対して早くも好意を抱いているさまが、成沢には手に取るように分かった。
「塚本では、あの男に太刀打ちできないだろうな」成沢は思う。
しばらく観察していると、里子が席を立った。どうやらトイレに向かうらしい。もう間もなく店を出ることを察知した成沢は、伝票を持って会計へと向かった。店内で写真を撮るのはリスクがある。外で待って、出てきたところを写真に収めるのが無難だった。
しばらく待っていると、里子と男は仲睦まじい様子で店から出てきた。成沢は反対側の通りから、景色を撮影するフリをして2人の写真を撮る。
店の前でしばし談笑してから、里子と男は別れた。2人は別々の方向へと歩いて行く。成沢は一定の距離を保ち、里子が歩いている方向へと向かった。
里子は毎回、このパターンだった。前の2回は平日の仕事終わりだったが、いずれも食事が終わった後は、すぐに解散していた。男と一緒に夜の繁華街に消えたり、ホテル街に足を運ぶようなことはなかった。
「里子の目的は何なのだろう?」成沢は考える。
遊び目的ではなく、真剣に男を探しているのかもしれない。相手の男が気に食わなかった可能性もあるが、今回ばかりは違そうだ。今まで見てきた中でも最も里子は楽しそうだったし、好意を抱いているように見えた。
「おまえには、残念な報告をしなければならない」
成沢は、塚本と会った時の台詞を考える。映画のように「良い知らせと、悪い知らせがある。どっちから聞きたい?」と言うのも悪くなかったが、今のところ悪い報告しかできないことに気づき、その台詞は候補から外した。
里子が赤信号で待っている間に、成沢は横断歩道を渡って同じ通りに出た。さり気なく後方へ移動し、里子の視界に自分が入らないようにする。里子はというと、ずっと下を向いてスマホをいじっていた。新しくマッチした男がいるのかもしれない。
信号が青になり、里子が歩き出した。成沢は一定の距離を保ち、後ろをついていく。成沢はずっと、里子の足元を見つめていた。女性は視線に敏感で、ふとしたことで目が合いやすい。近づき過ぎず、足元を見ることは尾行における基本だった。
里子は色々な店へ寄った。高級店がほとんどで、高い洋服やバッグなどを眺め、手に取ってはうっとりとした表情を浮かべていた。
その様子を見た成沢は、「塚本がケチでろくにプレゼントも買ってやらないから、ストレスが溜まっているのだろう」と考えた。だから、他の男に鞍替えしたいのだろう。実際、さっき里子がレストランで会っていた男は、だいぶ裕福に見えた。
ラフな恰好をしていたが、トップスもボトムスもブルネロだった。レザースニーカーはベルルッティで、腕にはロレックスのデイトジャストが光っていた。反社会的な人間であれば、是非とも自宅にお邪魔したい。成沢は男の身なりを見て、そのようなことを考えていた。
それからも里子は様々な店に入った。成沢は中には入らず、外で里子が出てくるのを待つ。
「尾行は退屈だな」と成沢は思う。
浮気調査の仕事は尾行にしろ張り込みにしろ、基本的に地味で単調な作業の連続だった。浮気の現場を押さえても、侵入した家の金庫を開けた時のような達成感はない。他人のプライベートに全く興味のない成沢にとって、浮気調査の仕事は苦痛以外の何物でもなかった。
「調査の結果を報告したら、塚本はどうするのだろう?」ふと、成沢はそんなことを考えた。
現段階では、里子が他の男と肉体関係を持っている様子はない。せいぜい、塚本に内緒で不特定多数の男と食事をしているだけだ。一般的にいって、これが浮気に該当するのかは分からない。民法上の不貞行為は、肉体関係を有することを前提としている。
結局は、当人がどう思うかということになる。塚本がこの事実を知り、どのような判断を下すのか。隠れて不特定多数の男と食事をするという行為で、塚本がどの程度「裏切られた」と感じるかが、重要になるわけだ。
しかし、成沢には塚本の反応は容易に予想できた。あのお人好しの性格からして、「俺が里子ちゃんに寂しい想いをさせたのが、いけなかったんだ。もっとかまってあげれば、里子ちゃんだってこんなことするはずはない。ありがとう成沢、これからは気をつけるよ」と言うに違いない。
似たようなことがあったな、と成沢は思い出した。大学時代、塚本がバイト先の性悪既婚者女に騙され、なけなしのバイト代や奨学金まで搾取されていた事件だ。
成沢が苦言を呈すると、あの時も塚本は「俺が悪いんだ。俺があの人を好きになったから、あの人は旦那から慰謝料を請求されて困っているんだ」と自分を責めていた。
どんなに成沢が忠告しても、塚本は聞く耳を貸さなかった。成沢は仕方なく、既婚女性の自宅に侵入し、盗聴器を仕掛けた。旦那と一緒に塚本から搾取した金で旅行計画を立てている様子を録音し、それを塚本に聞かせた。
女と旦那がグルだったことを知り、塚本はショックのあまり熱を出して1週間寝込んだ。なぜか成沢は看病をさせられたが、塚本は回復するとすぐにバイトを辞め、女との関係を絶った。
「もしかすると、塚本がケチになったのはあの出来事がきっかけかもしれない」成沢は苦笑した。ケチになった原因は自分にもあるのではないか、と。
そんなことを考えていると、里子が店から出てきた。その横顔を見て、「この里子という女は、どことなくあの女と似ているな」と成沢は感じた。旦那とグルになり、ただでさえ金のない学生から奨学金までむしり取っていた、あの女だ。
もしかすると、と成沢は思う。里子がマッチングアプリをやっているのも、同じようなことが目的ではないのか?
成沢にはそんな予感がした。里子がこれまでに会った男の顔を、頭の中で並べてみた。どいつもこいつも、胡散臭い顔をしている。もしかすると里子は、一緒にグルになって塚本から金を騙し取ってくれる男を、探しているのかもしれない。
そんなことを考えている間に、里子は歩き出した。予想とは反対にこちらに向かって歩き出したため、成沢は顔を見られないように背を向けて靴紐を結ぶフリをした。
里子が通り過ぎる瞬間、成沢ははっきりと臭いを感じた。それは、成沢が特定の人種と会った時に必ず感じる、例の異臭だった。
成沢は嗅覚が鋭かった。それは臭いを識別する嗅覚ではなく、胡散臭い人間を見抜く嗅覚だった。成沢は生まれつき他人の悪意に敏感で、そうした悪意を臭いとして感じ取れる鼻を持っている。
成沢は立ち上がり、里子の背中を眺めながら「この臭いも、あの女とそっくりだ」と思った。里子が通り過ぎる時、周囲に他の人間の姿はなかった。あの臭いは間違いなく里子のもので、塚本を騙したあの既婚者女と同じような、嫌な臭いがした。
成沢は溜め息を吐いた。間違いなく友人は、学生時代と同じ過ちを犯している。
前を歩く里子を追いかけながら、成沢は「塚本、おまえは本当に昔と変わらないな」とラインで送った。
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