友人の疑念

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友人の疑念

   最後の店を出た後、里子は電車に乗って自宅へ帰った。  成沢は里子のマンションの近くにある公園に入り、ベンチに座って張り込みをした。時刻はまだ早く、成沢は里子がまた外出するのではないかと考えた。  18時過ぎ、里子は成沢の予想通りマンションから出てきた。服装は変わっており、昼間よりもお洒落な恰好になっている。  成沢は公園から出て、里子の後をつけた。また男と会うのだとしたら、これで4人目になる。マッチングアプリとはそれほど出会えるものなのかと、成沢は考えた。確かに、里子の容姿は悪くなかった。目が大きく、愛嬌のある可愛らしい顔をしている。勤務先も大手の企業であり、アプリの男性からは人気があるのかもしれない。  里子は駅につくと、ビルの中にあるマックに入った。店内は狭いうえに、客の数も少ない。成沢は中には入らず、反対側にあるコンビニに入り、雑誌コーナーから里子の様子を窺った。  途中、改札に移動してそこで待った方がいいのではないかと思ったが、やめておいた。里子は男と会う時、必ず一緒に食事をしていた。事前に食事を済ませてから会うことは、一度もなかった。いつもと違う行動パターンをする時は、注意が必要だ。成沢は里子から目を離さない方が得策だと考え、コンビニの中でじっと待った。  里子は食事を終えて店から出ると、改札ではなく出口へと向かった。外に出ると真っ直ぐタクシー乗り場に向かい、停まっていた黄色いタクシーに乗り込んだ。 「改札で待ってたら見失うとこだったな」と成沢は思いつつ、後ろに停まっていたタクシーに滑り込む。 「前のタクシーを追ってくれ」運転手に告げた。運転手は若い男で、成沢の言葉を聞くとわざわざ後ろを振り返り、「ずっと、こういうのを待ってたんすよ」と興奮した口調で言った。 「いいから、早く追ってくれ」成沢は大丈夫かと不安になる。 「任務了解」と言うと、男は思い切りアクセルを踏んだ。  車は急発進し、成沢の背中がシートに沈んだ。 「頼むから、事故だけは起こさないでくれ」アシストグリップを握り、懇願する口調で男に言う。 「あの女、何者なんすか?」男はしっかりと里子を見ていたようだ。 「さあな」答えるのが面倒くさく、成沢はとぼける。 「そんな言い方ってないじゃないですか~」 「本当に知らないんだ」 「知らない人を追ってるわけですか?」 「そうだ」なるべく目を合わせずに答えた。 「おたく、何者なんです?」 「ただの何でも屋だよ」本業は泥棒だが。 「何でも屋!」男の目が輝いた。 「それよりも、間に車を挟んでくれ。それか、車線をずらしてくれ。ずっと真後ろにいたんじゃ、いずれ向こうの運転手に気づかれる」 「やっぱりおたく、ただ者じゃないですね」 「君も一緒に仕事をするか? 俺は今、助手を探しているところだ」  冗談のつもりで言ったが、男は真剣な表情で考え始めた。成沢は「冗談だ。気にしないでくれ」と言い、なるべく黙っていようと心がけた。  15分ほど走ってから、里子の乗ったタクシーが停まった。成沢は少し先の交差点でUターンさせ、反対側の通りに車を停めさせた。  成沢が金を払いタクシーから降りようとすると、男が「名刺をくれ」と迫ってきた。 「どうして俺の名刺が欲しいんだ?」 「さっきの件ですが、真剣に考えたいんです」 「さっきのって仕事のことか? 悪いがあれは冗談だ」 「俺も、同じことを繰り返すだけの毎日にうんざりしてたんです。おたくの下で働いて、色んなことを経験したいんです」  成沢は「尾行や張り込みも退屈だぞ」と言いかけたが、やめた。男は聞く耳を持っていなかったし、何よりぐずぐずしていると里子の姿を見失ってしまう。  成沢が名刺を渡すと、男はパッと顔を明るくした。それから窓を開け、「今日のことは後で詳しく聞かせてくださいね」と言うと、ようやく走り出した。  成沢は遠ざかるタクシーを眺めながら、「もう一つ後ろのに乗ればよかった」と後悔した。  それから気を取り直し、里子の姿を探した。向かいの通りを見たが里子の姿はなく、「見失ったか」と思っていると、同じ通りの右手の奥にいるのを発見した。運転手とやり取りをしている間に、こちら側に渡っていたらしい。  成沢は里子のいる方向へ歩き出した。距離が少し開いており、路地に入られたら見失う可能性もあった。成沢は意識して距離を詰めたが、しかし里子は道を逸れることなく真っ直ぐ歩いた。  成沢は里子がどこに行くのかを予想した。新宿であったため、もしかすると歌舞伎町のホストクラブに行くのかもしれない。お洒落な恰好をし、事前に食事を済ませていることからも、その可能性はなくはないと考えた。もしそうなれば、張り込みをするのは面倒だな、と思う。  だが、里子は成沢が予想した方面とは全く逆の方向へと歩いた。ドラッグストアに寄り、新宿駅に向かい、構内を抜けて西口の外へと出た。  成沢は里子の後姿を眺めながら、「もしかするとホテルに行くのかもしれない」と考えた。新宿駅の西口方面には、ホテルが乱立している。これまではマッチングアプリで男を漁る姿しか目撃していないが、やはり肉体関係を持つ特定の相手がいるのかもしれない。  成沢がそう考えていると、案の定、里子はとあるホテルの前で足を止めた。それは地上50階建ての超高層ホテルで、シンプルステイでも1泊5万円は下らない高級ホテルだった。  里子はしばらくぼんやりとホテルを眺め、それからスマホで写真を撮り始めた。成沢はこれ幸いとばかりに、里子から離れた後ろの位置に立ち、同じように写真を撮るフリをした。里子が写真を撮り終え中に入るタイミングで、成沢はその姿をカメラで捉える。  それから続いて中に入った。さすが高級ホテルだけあって、ロビーは広くて豪華絢爛だった。成沢は里子を探し、エレベーターの前に立っている姿を発見した。おそらく真っ直ぐ相手のいる部屋へ向かうだろうと考えていたため、予想通りの動きだった。  成沢はエレベーターに乗ろうとは思わなかった。大型商業施設であれば同乗する必要があるが、ここはホテルだ。里子がどこかへ行ってしまう心配もなく、部屋を特定する意味もあまりない。  里子を含めた6人の人間が、エレベーターの中へ吸い込まれた。扉が閉まったのを確認してから、成沢はそちらの方へ近づいた。あまり意味はないが、一応表示ランプを見ておこうと思ったのだ。  表示ランプは最初に「20」という数字を映した。「20階に到達するまで誰も降りないとは、世の中金持ちが多いものだな」と成沢は思った。しかし、それからしばらく待っても数字に変化はなかった。成沢は奇妙に思った。それはつまり、里子を含めたあの6人全員が、同じ20階で降りたということを意味する。 「そんなことあるだろうか?」と成沢は考える。  可能性はゼロではない。偶然ということは十分ありえる。しかし、成沢は珍しい偶然が嫌いだった。Aという事象が起こるからには、必ずBという原因がある。成沢は自分も行ってみようと思い、エレベーターのボタンを押した。  扉が開くと、賑やかな喧噪が聞こえてきた。成沢はエレベーターから降りた。目の前には、立派なレストランがある。入口にはスーツを着た数名の男が立っており、レストランの中にはたくさんの男女の姿があった。 「そういうことか」と成沢は思った。おそらくここで、パーティーか何かのイベントがあるのだろう。里子は男と会うためにホテルに来たのではなく、イベントに参加するために足を運んだのだった。  成沢はレストランの中の様子を窺ったが、里子の姿を見つけることはできなかった。中は広く、外から様子を窺っただけではどこにいるのか分からない。  中に入ろうと成沢が足を進めると、目の前にスーツを着た男が立ちはだかった。 「お名前をお伺いしてもよろしいですか?」若い男だったが、物言いは丁寧で綺麗な笑顔を浮かべていた。 「成沢だ」男をじっと見ながら、成沢は答える。 「成沢様ですね。IDを拝見してもよろしいですか?」 「IDはない」成沢は正直に答えた。 「ご予約のお客様ではございませんか?」 「そうだ」 「申し訳ございませんが」男は眉を下げる。「事前に予約されたお客様しか、ご案内することはできません」 「これは一体何をやっているんだ?」 「婚活パーティーでございます」 「なるほどな」ここでも男を漁るつもりなのか。 「成沢様には大変恐縮ですが、次回のパーティーをご案内させていただきたく存じます」 「いや、俺は今日のパーティーに参加したい」成沢は頭の中でデタラメを並べる。「実は俺も、ちょうど結婚相手を探しているとこなんだ。さっき通りかかったんだが、中にとても魅力的でタイプの女性がいた。ぜひその人とお近づきになりたい。だから参加させてくれ」 「ご宿泊のお客様ですか?」 「そうだ。スイートを取っている」成沢は堂々と嘘をつく。  男はさり気なく、成沢を上から下まで見た。成沢は一応、ブランド物の服を着ていた。尾行中は目立ってはいけないが、かといって貧相な恰好をしてもいけない。成沢は長年の経験から、ある程度高価な服装、社会的に信用される恰好をするのが得策だと考えていた。 「失礼ですが、ご職業は?」 「職業?」 「より良い出会いを提供するため、本日のパーティーはハイステータス限定とさせていただいております。参加費は1万円のうえ、男性の方は参加資格があります。上場企業勤務、医師、公認会計士、経営者など社会の第一線で活躍されている方か、年収800万以上の方に限定させていただいております」 「経営者だ」嘘はついてない。一応、零細個人事業の経営者ではある。 「名刺はございますか?」 「今日はオフなんだ。名刺なんて持ち歩いていない」さすがに何でも屋の名刺を見せるわけにはいかない。 「身分を証明していただく物がなければ、参加していただくことはできません」  成沢が男とやり取りをしていると、間に入る感じで別の男が現れた。同じくスーツを着ていたが、どうやら若い男の上司らしく、年齢は成沢よりも上に見えた。 「お客様、弊社は信頼を第一としております。例え参加資格に該当していても、身分証のご提示がない場合には参加をお断りしております」  どうやら男はやり取りを聞いていたらしい。成沢にそう言うと、両手を前で組んで丁寧なお辞儀をした。男が顔を上げた時、組んだ左手の薬指に指輪があるのが見えた。  成沢は財布を取り出した。ボッテガのジップアラウンドウォレットで、10万を超える代物だった。成沢は急な入用に備えて、尾行中は多めの現金を持ち歩くようにしている。わざと札が見えるように財布を開き、そこから2万を取り出した。  それを見た男は片眉をピンと上げた。成沢は試しにやってみたつもりだったが、案外簡単に食いついてきた。さらに成沢は財布から1万を取り出し、2万の上に乗せる。男は片目をつむってそれを見ていたが、首を縦には振らない。  成沢はさらに2万を取り出し、合計5万を男の胸ポケットにねじ込んだ。男はにっこりと笑顔を浮かべ、「身分証、確かに拝見させていただきました」と言った。それから参加資格を証明するカードを渡すと、成沢の背中に手を添えて中へと促した。 「さすが信頼第一の会社だ」成沢は苦笑する。金を持っていることが何よりの証明になると、よくわきまえている会社だった。  レストランの中は、思ったより広かった。たくさんのテーブルがあり、その上に様々な料理や酒が置かれていた。そのテーブルを囲むように男女が立ち、談笑をしている。立食形式のパーティーで、奥にあるバーカウンターにもたくさんの男女の姿があった。  成沢は里子を探す前に、塚本にラインで連絡をした。「経費で5万かかった。領収書はないが、負担してもらうからな」と送る。するとすぐに既読がつき、ものの3秒もしないうちに電話がかかってきた。成沢はうんざりしたが、仕方なく電話に出た。 「どういうことだ?」塚本は開口一番、そう言った。口角泡を飛ばす勢い、といった感じだった。 「さっき文章で送ったとおりだ」塚本が喚いている表情が脳内に浮かぶ。 「5万って何なんだ? どうしてそんなに金がかかるんだ? 一体、何に使ったんだ?」 「浮気調査ってのは、案外金がかかるんだよ」 「そんなこと、事前の説明には何もなかったじゃないか」 「何が起きるかを、事前に全て予測して説明することなど、俺にはできない」 「俺は税理士だぞ。領収書のない経費なんて払えるわけがないじゃないか」 「領収書のない経費を落とすのが、税理士の仕事じゃないのか?」 「そんな悪徳と一緒にするな」塚本が悲鳴を上げる。「なあ成沢、本当に大丈夫なのか? 疑いたくはないが、俺のことを騙そうとしてるんじゃないのか?」 「彼女だけじゃなく、ついには俺も疑うようになったか」成沢は溜め息を吐く。 「今どこにいるんだ?」 「新宿の帝王ホテルだ」成沢は正直に答える。 「どうしてそんなとこにいるんだ?」 「気になるなら来い。おまえの大事な里子ちゃんも一緒にいるぞ」 「なんだって?!」と塚本の素っ頓狂な声が聞こえたが、成沢は無視して通話を切った。  短時間の通話だったが、成沢は疲労感に襲われた。彼女のことで神経が張り詰めているとはいえ、俺のことまで疑うとは病的だな、と思う。 「果たして塚本は来るだろうか?」と考える。別に来ても来なくてもどっちでもよかったが、目の前で里子の素行を見せることは、塚本の目を覚まさせるには一番効果があるかもしれない。  成沢は里子を探した。里子は奥のバーカウンター近くのテーブルで、2人の男を相手に楽しそうに喋っていた。  その姿を見て成沢は、「恋人が発狂寸前だというのに、まったく能天気な女だ」と思う。  溜め息を堪え、里子のいる方向へと歩き出す。だがしばらく歩いて、足を止めた。ふいに、あの異臭が鼻を刺したのだ。  成沢は周囲に視線を走らせる。近くにはいくつものテーブルがあり、それを取り囲むようにたくさんの男女の姿があった。  こうもたくさん人がいると、臭いが誰から発せられたのか特定することは難しい。だが、成沢には1人の気になる人物がいた。それは、左斜め前のテーブルにいる男だった。男は背が高く、目鼻立ちのはっきりとした二枚目で、グレーのブリオーニのスーツを着ていた。  成沢は何となく、臭いはこの男から発せられていると感じた。わざわざ近づいて確認することはしない。この距離でも臭いを感じるのだとしたら、近づいて嗅いだら鼻がもげてしまうかもしれない。 「まったく、恐ろしいところに来てしまったな」婚活パーティーとはこんなに恐ろしいところなのか、これではまるで、戦場だな。  成沢はそんなことを考えながら、男のいるテーブルを避ける形で奥のバーカウンターへと向かった。
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