友人の依頼

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友人の依頼

「なあ、成沢、これは浮気だと思うか?」  塚本は正面に座っている成沢に問いかけた。時刻は夜の18時だった。成沢の自宅マンションで、テーブルを挟み、向かい合う形で2人はソファに座っていた。 「もう一度、状況を説明してくれ」  成沢はゆっくりとコーヒーを飲んだ。午前中に1件仕事をこなしていたが、思ったより疲れていた。郊外にあるホテル経営者の邸宅に侵入し、金庫から現金数百万を盗んでいた。最近は技術の進歩でセキュリティも強固になっており、仕事をこなすのは容易ではない。泥棒という稼業も今一度見直すべきかもしれない、と考える。 「最近、彼女の里子の様子がおかしいんだ。俺とデートしていても頻繁にスマホを見ているし、どこか上の空だ。以前はラインのやり取りも毎日していたのに、最近は3日経っても返事が来ない」 「それは、浮気だな」 「真剣に聞いてくれよ」塚本は狼狽する。 「他に何か変化はあるか?」 「そうだな、服装も変わった。以前よりも、お洒落な恰好をするようになった。それに、新しい趣味も始めたらしい。ジムに通い始めたとかで、夜に会えることが少なくなった」 「浮気だな」成沢は鋭く指摘する。 「そんなに浮気浮気言うなよ」  成沢の背後にあるテレビから、空き巣事件のニュースが流れた。郊外の邸宅で、現金数百万が盗まれたという事件だ。成沢は「ほう」と思う。あのホテル経営者は数々の犯罪行為を犯している。成沢が把握しているだけでも、麻薬取引や売春など、卑劣極まりない行為に手を染めている。だからこそ、表にできない金だと踏んで空き巣に入ったのだ。警察に通報するとは、意外に度胸があるじゃないか、と思う。 「成沢、聞いているか?」  ニュースの音声に意識を奪われていた。今は、友人の塚本の恋愛相談に乗っていたのだ。お互い32歳になるのに、恋愛相談とは気が引ける部分もあったが、とりあえず成沢は目の前の塚本に意識を集中した。 「それで、どうしたいんだ?」 「成沢は、何でも屋をやってるんだよな?」 「ああ、そうだ」本業は泥棒だが。 「里子のことを、調べてくれないか?」  何でも屋を始めて一番多い依頼は、この手のものだった。一説によると、配偶者や交際相手のいる日本人の約21%は、パートナーとは別に性行為をする相手がいるという。単純計算で、約5人に1人が浮気をしていることになる。調査の依頼が絶えないのも、納得できる数字だった。 「あのな、塚本、俺の長年の経験から言って、おまえの彼女は黒だ。ほぼ確実に、浮気をしている。わざわざ俺に調査を依頼する必要はないんじゃないか?」 「でも、ほぼ、だろ?」塚本は食い下がる。 「みんな、そう言うんだよ」成沢はうんざりする。 「頼む、成沢、俺は白黒はっきりつけたいんだ」 「どうにかタイミングを見つけて、彼女のスマホを見ればいいじゃないか」 「そんなこと、できるわけない」 「女はそうやって、浮気を見つけるんだよ」 「そうなのか?」塚本が目をしばたく。 「スマホだけじゃない、財布の中も見たりする。不用心な男はホテルの領収書を入れたままにして、それでバレるんだ」 「俺は浮気がバレない方法を訊きに来たんじゃない」塚本が声を高くする。 「本当に、依頼するのか?」 「ああ、本気だ」 「分かった」成沢はうんざりしつつも、了承した。「調査方法は色々あるが、尾行で良いな?どうせ、すぐに証拠を押さえられるだろうからな」 「成沢、まだ浮気していると決まったわけじゃない」 「期間はどうする? 1週間もあれば十分だと思うが」 「1週間か・・・」塚本は思案する顔になった。「1週間何もなければ、さすがに安心していいよな」  成沢は内心、「こいつは本当にお人好しだな」と思う。塚本とは大学時代に知り合い、それから今日まで交友が続いているが、この男は昔からお人好しだった。優しく、繊細な神経をしている彼は、簡単に人を信じるし、そのくせ些細なことで深く傷ついたりする。大学時代にも悪い女性に引っかかり、そのことで成沢が助けてやったこともあった。 「おまえは何も変わらないな」成沢がぼそっと呟く。 「え、何だって?」 「何でもない」成沢は咳払いをした。「それじゃあ、おまえの彼女の写真を俺のスマホに送ってくれ。それから、彼女の家と職場の住所、それから出勤と退勤の時間、おまえが把握している範囲での生活リズム、行動パターン、よく行く場所を教えてくれ」  塚本から彼女に関する情報を聞き出す。尾行は簡単な作業だと思われがちだが、そんなことはない。人ごみの中で見失うリスクは常にあるし、いきなりタクシーに乗ったりすることもある。対象の行動パターンを把握することは、確実に証拠を押さえるためには必要なことだった。 「浮気の証拠を押さえるだけでいいんだな?」 「万が一、浮気をしていた場合はな。仮に浮気をしていたとしたら、その後のことは自分でやる」  塚本から依頼の内容を確認し、それから契約書を取り出した。「友人なのに、こんなの書く必要あるか?」と塚本は渋面だったが、正式な依頼なのだから書類は必要だった。 「料金は、いくらだ?」 「1週間だから、10万ってとこだな」 「そんなにか?」塚本が唖然とした表情をする。 「これでも安い方だ。大手の探偵事務所なんかに依頼したら、倍以上かかるぞ」 「友情割引はないのか?」 「浮気の理由が分かったぞ。おまえがケチだからだ」 「大学時代、成沢が講義をサボりまくって留年しそうになった時、教授にかけあって助けてやったのは、誰だったかな?」 「大学時代、おまえがバイト先の性悪既婚者女にたぶらかされた時、助けてやったのは誰だったかな?」  塚本は苦虫を噛み潰したような顔をした。それから契約書にサインする。 「今は手元にないから、後で払ってもいいか?」 「清算は調査が終了した段階で大丈夫だ」 「成沢、腕は確かだよな?」塚本が不安そうな顔をする。 「何だと?」 「成沢が尾行に気づかれたり、浮気の現場を発見できないなんてことは、ないよな?」  やはり内心では浮気を確信しているのではないか、と成沢は指摘したくなる。 「これまで一度も尾行に気づかれたことはない。対象に動きがなければ証拠は押さえられないが、何か動きがあれば、俺が見逃すことはない」 「1週間の調査じゃ短いかな?」 「安心したいなら、2週間でも1カ月でも調査してやるぞ。金はかかるがな」 「やっぱり、1週間でいい」  成沢は塚本が書いた書類に目を通す。職業と収入の欄を見た。成沢は依頼人の経済状況を確認し、金持ちであれば標的として一覧表に載せる。それから調査をし、反社会的な人間であった場合に限り、空き巣を実行する。塚本は税理士事務所に勤務しており、年収は1000万を超えていた。 「やっぱりおまえはケチだ」 調査が終わった時にまた値引きするようだったら、こいつの家に空き巣に入ってやろうと、成沢は密かに決意する。
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