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唇へのキスは相手を恋愛対象として見ているからこそのキス、愛情表現なのだと言いたかった。けれど上唇にずれた真意に十六歳の樹理は気づかなかった。それは紡に婚約破棄されたばかりの樹理を憐れむようなキスでしかなかったから。
「キート、あたしの初恋は、ツムグくんじゃないよ」
「え」
「十年前に親会社との取引が途切れたことで、婚約も白紙になったじゃない。あのとき思ったんだ。なんにもできない社長婦人なんて自分に似合わないな、って」
樹理は高校卒業後、秘書学を学び、父親の秘書として会社経営に携わる道を選んだ。その後も見合いの話はあったが、すべて蹴飛ばした。だから今日、父親が貴糸を紹介したいと言い出したことに驚いたけれど、ほんとうは嬉しかったのだ、と。
そうすっきりしたように口にして、全裸の樹理は貴糸のスーツを脱がせていく。ネイビーは男性が制覇する色で、マスターすべき色だと服飾評論家が推していたが、目の当たりにするとたしかに上品で知的な印象がうかがえる。強面なあの貴糸が着ているのに……
ワイシャツごしの胸板に頬を寄せながら、樹理はぽつりと呟く。
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