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想像したより、「鼻なで天狗さん」は巨大だった。
颯介は、恋愛成就を願っていたらしいけれど、俺は……颯介が、俺を受け入れてくれることを――俺の中のドロドロと醜く歪んだ欲望を曝け出してもなお、嫌わずにいてくれることをひたすら願った。天狗が叶えてくれるなんて、本気で信じている訳じゃない。それでも、ちょっとだけでもいいから、颯介の心が離れてしまわないように助けて欲しい。そんな気持ちで、真っ赤な鼻を確りと撫でた。
それから、天狗さんから少し離れた天狗神社に参拝した。ここでも颯介は、天狗さんの絵が描かれた絵馬を買って、『ずっと一緒に居られますように』と書いた。
「俺も、名前、書いていい?」
「勿論。ありがとな」
照れ臭かったけど、彼が書いた『手塚颯介』の文字の下に、『樋口航』と書き足した。もし俺達共通の友達――例えば、相川なんかが、この絵馬を見つけたら……どう思うんだろう。アイツは俺達のこと、親友同士だって思っているから、そのまま「友情」のことだと解釈するだろうか。
「桜の樹がある」
「うん、一本桜だな」
「天狗桜」と看板が出ている。今は緑の葉が生い茂っているけれど、花の頃なら、きっと見事だったろう。
「次は? 何があるの?」
「『天狗の館』ってのもあるけど……もう天狗はいいって顔してるな」
やだな、表情に出ていたんだろうか。颯介は「ははっ」と笑って、こっち、と青い金網が張り巡らされた施設を指差した。
「シマリス公園」
看板には、そう書かれていて、思わず口元が綻んだ。
二重扉を潜ったが、施設内は「ただ金網で囲いました」と言わんばかりの自然の野原で、特別な展示檻も遊具もない。整備されている所と言えば、切株が点在しているとか、囲いの土台がコンクリートになっているくらいだ。
無料の施設だからか、カップルが数組の他は、親子連れが多い。あちこちでしゃがみ込んでいるのは、リスを見ているのだろうか。
「ほら、航」
いつの間にか、颯介はガチャガチャを回していて、青と透明が半々になったカプセルを手渡してくれた。何が入っているのかと見れば、ヒマワリの種。
「あの切株の辺り、沢山ヒマワリの殻が落ちているな」
手招きされて、切株の前でしゃがむ。確かに、縦に裂かれた無惨なシマシマの殻が、累々と散っている。食後の痕跡だ。もうここには居ないんじゃないかな。
「……あ」
切株の奥に群生している蕗の葉陰で、カサリと動くモノがあった。
「颯介、あそこ……!」
彼の袖口を引いて、そっとしゃがむ。視線の先に、こちらの様子を覗う丸い瞳がある。
「航、種」
「ん」
カプセルを開けて、数個取り出し、掌に乗せる。地面スレスレまで掌を下げて、ジッと息を詰めて待つ。
ソロリ……茶色い生き物が、フサフサの尾を揺らして、数歩前に出る。
俺達は、石化したように言葉も声も無く、ジイッとその愛らしい小動物の動きを目で追った。
やがて。掌のすぐ近くまで来ると、緊張と警戒を顕わにしながら、ヒマワリを1粒、サッと奪った。
あっ、と思って隣の颯介を見ると、愛おしそうにリスを眺めている。その眼差しが優しげで、トクンと胸が溜め息を吐く。
リスは一生懸命にカリカリと殻を剥き、中身をムグムグッと頬袋に収めて、それからもう1粒浚った。
「……可愛い」
ポツリ呟くと、リスがピクッと反応したが、逃げる様子はない。きっと人慣れしているのだろう。
「お前に似てる」
リスを眺めたまま、颯介が顔を寄せて囁いてきた。
「な、何言ってんの」
「今朝、おにぎり食べたろ? あの時のお前に似てるよ」
確かに溢さないように、両手で持って食べたけど。
「あっ、あれは……」
恥ずかしくなって、彼を見ようとしたら――チュッ、と頰に温もりが触れた。
「可愛いくて、堪んない」
離れた唇が、甘く言葉を紡いで。睫毛が触れそうな距離で、唇が重なる。
「ん……っ」
掌から、ヒマワリの種がポトポトと落ちるのを感じたけれど、構わない。頰の内側に袋がないことを確かめるように、彼の舌が丁寧になぞり、その甘美な刺激に頭の芯が溶ける。
――ああ、やっと……。
そんな言葉が身体の奥から浮かんで、こうすることを、待ち望んでいた自分に気付いた。
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